先日、ヴェンダースの新作映画「パレルモ・シューティング」を見てきたと書いた。
これが結構つまらなかった。
書こうと思ってたけど、忙しくて書けなかったことをまとめて。
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地元の一中と下島小学校と八雲小学校で運動会があったので、参加してきました。
玉入れをしたのですが、僕はお恥ずかしながらゼロ個。
実はずっと前から背広のズボンが破れていたので買いなおしに行った。
僕はあんまりそういう「ズボンが破れてる」とか気にならないというか、「破れてるなんてストリート感覚的にもヒッピー感覚的にもアリなんじゃね?」とか思っちゃうタイプなんだけど、周囲が「みすぼらしい」と言うので。
そしたら店員さんに「どういうお仕事してるんですか?」と問いかけられて、「(まぁ、議員って、特別非常勤公務員だもんな。公務員でいいか)公務員ですね」と答えたわけ。
青山真治監督の映画「ユリイカ」を見ました。
4時間近くある映画なので、なかなか見るのが大変で、家に帰った後、30分ずつちびちび見て、やっと見終わりました。
ネタバレはあれなので、詳しくは書きませんが、バスジャックに巻き込まれた人々の、生き残ったその後を描いた作品です。
友部正人のちょっと古い歌に「イタリアの月」という歌がある。
この歌は、湾岸戦争について歌われた歌だが、歌詞を読めばすぐにわかるように、無力感に満ち溢れている。
「僕にできるのはただ 悲しみのないところにいて歌うだけ」
今日は、とある人と偶然、政治の話をする機会に恵まれました。
その時に、社会の共通前提(常識や尊厳)を維持するシステムが崩壊しているから、勝手気ままな人が増えるのではないのか、それを防ぐためには、地域に属する人々が互い補完し合えるような大きな社会を作っていくことが必要ではないのか、というような話題が出てきました。
別の話題で書こうとしていたことなのですが、テレビの15秒CFのような「退屈させない、でも、中身とは無関係」であることを認めることに疑問を覚えない価値観が、今の社会を覆ってしまっています。
この数日読んだ本の中で、漫画関係の本が結構面白かった。
具体的には、「手塚治虫が生きていたら電子コミックをどう描いたか」(大塚英志)、「サブカルチャー神話解体」(宮台真司)、「ふしぎなふしぎな子供の物語 なぜ成長を描かなくなったのか」(ひこ・田中)。
これらの本を一気に読んだきっかけは、先日部屋の掃除をしていたら、学生時代に読んだ大塚英志の「おたくの精神史」と「サブカルチャー文学論」が出てきて、読み直したら結構面白かったから。で、その本の中に吾妻ひでおの話が出ていて、懐かしさも相まって、みょうに吾妻ひでおが読みたくなってジュンク堂に出かけて「地を這う魚」を買って、そのついでに書店で目についた上記3冊を一緒に買ったのだ。
野田氏が新しい総理になった。
前原氏ではなく、野田氏が選ばれたあたり、イメージや見た目重視の政治からの転換が少しでも行われるであろうかとうれしくなる。
一方で、地味といわれる野田氏がこのタイミングで登場したのは、なんだか、小泉・安倍の次に福田氏が登場した自民党末期の流れにも似ているな、という懸念も感じる。
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