これも何かの勉強になると思い、中の島映画大学で戦時中のプロパガンダアニメを見てきました。
全部で5作品ほど見たのですが、有名な「桃太郎の海鷲」と「桃太郎 海の神兵」はものすごい作品ですね。
学生時代、映画の授業で習ったことはあったのですが、実際に見たのは初めてです。
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特徴としては、
・悲惨な戦争を描かない。まるで楽しいスポーツのように見えるように描いている。
・よって、あまり人死には描かれない。海鷲においては、戦争映画であるにもかかわらず、自軍に死者が一人も出てこない。
・臨場感たっぷりに描いてあって、見ていて面白いというか、興奮させられる→戦争ってかっこいいじゃんって思わせられてしまう要素を多分に含んでいる
・搾取されている植民地を開放するという物語(大義名分)を見るものに示す
・巨大(大人)な白人に立ち向かう小さな(子供のような)日本人たちという構造的定型が見える
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ついでに、戦後1年目に作られたアニメーションも見た。
「魔法のチョーク」という作品と、「春」という作品。
こちらも、個人的には衝撃だった。
まず、「春」だが、バックミュージックは、いきなり、洋物のバレェである(演奏も白人)。
「戦争が終わったのだ!」という解放感が表現されている、と、月並みなことを言うのは簡単だが、俺は、「戦争で家族を殺されまくった日本人が、戦争が終わったからって急に洋物レコードを使うって、どういう気分なんだ?」と思った。
俺なら、歯ぎしりして、とてもじゃないが戦争が終わったところで洋物バレェ音楽なんて使えないけどなー。
で、「魔法のチョーク」。
これがひどい。
焼け野原で少年が、西洋人少女の人形を拾うと、彼女が急にしゃべりだす。
どこのローゼンメイデンだよと思ったのもつかの間、彼女は拾ってくれたお礼にと、少年に魔法のチョークを手渡す。
魔法のチョークは、それを使って描いたものがすべて本物になるという、ドラえもんもびっくりのチョークだ。
大喜びの少年は、チョークを使って道を描き、建物を描き、がれきの山を大都会に変えていく…。
この作品を、敗戦した日本に対するアメリカのプロパガンダであるという意外に、いったい何を言えばいいのだろう。
これぞまさに植民地主義的作品である。
アメリカさんの「俺たちが協力して戦後復興させてやるんだぞ、恩に着ろよ」というメッセージが透けて見える。
西洋人形少女が、動き出して、少年と一緒に街に出て開口一番のセリフ「あら、焼け野原なのね」!
このセリフには、あいた口がふさがらない。
当時の人々は、この映画を見て「焼け野原にしたのはあんたらだろ!!」と怒鳴りたくならなかったのだろうか。
アメリカンミュージック大好きな俺でも思わずいらっとくるすごい映画だぜ。
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しかし、皮肉なのは、戦時中に日本もまさに、先に述べた「桃太郎 海の神兵」で、「魔法のチョーク」におけるアメリカとまったく同じ構造の場面を描いている。
まぁ、定型なのかもしれないな。
悲しいことだ。