はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年9月14日

ささやかだけど、役に立つこと(ある場所だけの仕事が仕事のすべてではない)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 6:52 PM

今日は、ちょっとした会議のようなものがあり、そのあと、近所の溝に土がたまっていたので、掃除をしていました。

明日も議会なのですが、どうやらプレス(新聞社)が入るようですね。

さて、どういう書き方をするのでしょうか。僕は、今の仕事に就く前は、ものを書く仕事をしていましたので、メディアの言論の方向性や公平性には、ある種の信念を持っています。それは、いくら生活が懸かっていても、不公平な書き方はできない、という信念です。僕は、ジャーナリズムというものを信じています。

ジャーナリズムとは、流行を増長させるもののことではありません。

むしろ、精鍛な目で、虚偽をはがし、物事を丸裸にする仕事です。

町でたまに耳にする、維新がやっていることだけが正義というような単純な言説には、僕は怒りを感じます。

正確に事態を、把握することが必要です。

今の守口市長は、維新系(推薦)であり、維新そのものではありません。

また、現在の与党の議員の中に、維新に属する人間は、今現在は、いません。

それにもかかわらず、与党=維新、野党=その他というイメージが先行している。

これは、全くの間違いである。

また、与党の出した案のみがすべて正しく、それを否決すれば野党は維新に反対して仕事をしていないという勘違いすら横行している。

これもまた、完全なる誤りであり、激しい怒りを覚える。

政治の実態は、与党や維新が出した案のみがすべてではない。

例えば僕なら、先日、PCB問題に対して、非常に頑張って反対運動をした。

僕は、市民の生活を守ることに貢献した自負がある。

僕のその行為は、「維新の望むところではなかったから、仕事ではない」のだろうか?

いいや、そんなことはない。

みなさん、よく考えてほしい。

議員の仕事は、与党や維新が出した案件にこたえることのみがすべてではないのである。

にもかかわらず、もしも、それ以外の仕事をいくら頑張ってやり遂げても、「あれは維新に反対する守旧派だ」などと揶揄する言説があるとすれば、それは、完全なる嘘である。

意味の差し替えである。

そして今、そういう嘘のような言説が、ちらほらと語られたりする。

そういうばかげた事態に、激しい怒りを覚える。

また、野党=守旧派=反維新なのであろうか?

これも、まったくの間違いである。

対立候補が二人しかいない市長選挙ならまだしも、議会というのは、多様な人間たちによって形成されている。

そこにあるのは、各論ごとの真摯な審議であり、議員たちは、各論ごとに、それぞれの様々な理由によって、賛成したり、反対したりする。

それを、もしも、ぞろ維新と反維新という嘘っぱちの図式にあてはめられると、僕は許さない。

そんな不正義は、絶対に世の中をよくしない。

廣松渉は、新左翼にして尊王攘夷主義者だった。

このように、ねじれているのが、人間の本性である。

それを、理由も聞かずに、単純な図式にあてはめるのは、あまりにも不正義だ。

また、多くの人は、議会というものが、どういう流れで成り立っているのかを知らないだろう。

傍聴できる部分で聞くことができるものは、議論のほんの一部にすぎない。

ならば、もしも、その場でだけ、傍聴人がいるという理由で、まことしやかにおもむろに、自分だけが正義であるかのように発表をしだす人間がいるとすれば、それもまた、それだけがその人のすべての姿であるとは、思い込まない方がいいだろう。

世の中には、多様な人間がいる。

仕事にも、いろいろな役割と、いろいろな役に立ち方がある。

ある場所で目立つことだけが、そのまま、仕事をしていることになるという、ばからしい言説からは、市民みんなが遠ざかっていくべきである。

そうでなければ、例えば、雪かきをしている人々、どぶさらいをしている人々という、目立たない、ささやかだが役に立つことを、している人々の努力が、報われなくなってしまう。

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