はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年9月29日

情報の片りん

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 8:09 AM

書こうと思ってたけど、忙しくて書けなかったことをまとめて。

地元の一中と下島小学校と八雲小学校で運動会があったので、参加してきました。

玉入れをしたのですが、僕はお恥ずかしながらゼロ個。

津嶋恭太さんが2個、西田久美さんが4個入れたそうです。

うらやましい。(笑)

で、守口宿ジャズストリートというのがあったので、駅前でお昼ごろにやってたフュージョンバンドを聴いてました。

別のバンドが、「A列車で行こう」を演奏するときに、「これはデューク・エリントンの曲です」と紹介していました。

よく勘違いされてしまうのですが、「A列車で行こう」は、エリントンの片腕だったビリー・ストレイホーンの作った曲です。

ビリー・ストレイホーンという名前はジャズファンでないとなかなか知らないと思うので、ついつい「エリントンの曲です」とわかりやすく紹介したくなる気持ちはわかります。

しかし、それでは、作曲者の名前を偽ったことになってしまう。

ビリー・ストレイホーンがかわいそうだし、説明を聞いている聴衆をも馬鹿にしていることになってしまう。

そこはちゃんと、「ビリー・ストレイホーンの曲です」と言うべきだ。

僕は、いまの時代、ジャズのみならず、政治の世界でもこういう「受け手はどうせわからないんだから、わかりやすく嘘を言っておけばいいや」という考え方が横行しているような気がします(そんなわけで、おいしいおやつみたいな政策が増えたり、威勢のいいパフォーマンスばかりの政治家が増えたりするんですね)。

それは、親切に見せかけた、とても失礼な考え方です。

だから、受け手側も、「どうせわからないんだから……」と言われないように、常に「それぐらい知ってるぜ」と言い返せる体制を作ることが大事だと思います。

僕だって、別にぼーっとしてたら「A列車はビリー・ストレイホーン」って知識が頭に入ってきたわけじゃない。

自分でレコード店巡りを繰り返して、クレジットを見ているうちに「あれ? この曲、エリントンが作ってないじゃん」と気が付いたわけ。

そしたら、「どういうことだろう?」って、本を読むなり、ググるなり、調べ始められるわけです。

そういう、一般常識を疑う心というか、自分で調べる心というものが、これからの社会をサヴァイヴ(生き残る)するためには、必要じゃないのかな、と、最近つくづく思うんです。

もう、世の中は、垂れ流された情報を受動的に摂取するだけだと、都合のいいように騙されちゃうだけの世の中になってきたというか(原発問題だってそうでしょう)。

情報は、その片鱗は、ちゃんと文字として、どこかに出てる。

その片鱗のしっぽを捕まえて、自分で、中身を調べていくのが、絶対に必要なんです。

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