※友部正人の「ジェリー・ガルシアの死んだ日に」のメロディーで適当に歌ってね。
大瀧詠一の死んだ日に、僕は友達とレンタカーを借りた
大瀧詠一の死んだ日に、僕は厚手のダウンを着ていた
大瀧詠一の死んだ日に、僕らは竹原までドライブをした
大瀧詠一の死んだ日に、僕らはICで昼食を食べた
大瀧詠一の死んだ日は僕らの素敵な一日とぴったりと重なっていただろう
※友部正人の「ジェリー・ガルシアの死んだ日に」のメロディーで適当に歌ってね。
大瀧詠一の死んだ日に、僕は友達とレンタカーを借りた
大瀧詠一の死んだ日に、僕は厚手のダウンを着ていた
大瀧詠一の死んだ日に、僕らは竹原までドライブをした
大瀧詠一の死んだ日に、僕らはICで昼食を食べた
大瀧詠一の死んだ日は僕らの素敵な一日とぴったりと重なっていただろう
ムーンライダースのかしぶち哲郎さんが死んだね。
びっくりしたわ。
2年ぐらい前に難波でやってたムーンライダースの解散ライブに行ったんやけど、そんときはかしぶちさん「マスカットココナツバナナメロン」でふざけて踊ってたのになぁ。
もうあのドラムが聴けないと思うとさびしい。
というか、ムーンライダース自体が、これでもうオリジナルメンバーでの再始動は起こりえないことになるんだよなぁ。
「どうせそのうちにまた再始動するだろう」と勝手に思っていたから、本当に心に穴が開いたような気分やわ。
ムーンライダースの場合、年齢的には高いバンドやけど、現在形で新しい音を聴かせて、若者向けの音楽をやってるバンドやったから、「昔の人が亡くなった」って感じがしないんだよね。
「最先端の人が急に亡くなった」って感じ。
今日は、ムーンライダースで一番好きな曲の、「笑門来福」でも聞こうかなと思ったけど、CDどこ行ったかな。
先日、某公民館祭に顔を出させていただいたのですが、「踊りなよ」と言われて、なぜか熱波宝夢のみなさんと踊ることになりました。(笑)
曲的には、昔よく公園で休憩がてらにベンチで小説読んでたら、よく聞こえてきた、梅小路公園で練習してたよさこいソーランの子らがやってる曲と同じだった(ので「あぁ、この曲か」と思ったのですが、振り付けは全然しらねぇ。
でももぁ、ここはいっちょやってみっか、とドラゴンボールの主人公みたいな気分で一緒に踊りました。
だいぶ適当に踊っていたので、許してくださった皆さん、感謝感謝っす。
この前岡村ちゃんのライブに行ったら、背広を脱がずに踊っていたので、「俺だって背広は脱がねーぜ!」と思って背広のままで一曲踊ったのですが、終わったら実は汗だく!(人が大勢いる手前、「こんな程度、なんてことないぜ」って表情はしておいたけど)
すげー!
すげーよ、熱波宝夢の子たち!
あれだけ踊って汗かいてないんだもんなぁ!
やっぱ、鍛え方が違うぜ!!
俺もシンガーソングライターダンサーになれるように頑張らなきゃ!
※
お菓子つくり教室に市民の皆様と一緒に参加。そのあとで、ポール・マッカートニーの京セラドームでのライブ(11月12日)に行ってきました。
お菓子つくりは、あまり料理をしない自分の料理力のなさが露呈しました。
埼玉県蓮田市で仕事をしていた若いころ、僕は社員寮で暮らしていました。
あのころ、スーパーの残り物惣菜ばかり食わずに、料理を覚えればよかったと今、心の底から思います。
当時、同僚の先輩ライターのMさんが、お昼になると必ず会社のキッチンで料理をして、一部の社員にふるまっていました。
なんとなくその輪に入れずに、お昼もいつもスーパーの惣菜で済ませていました。
あのころ、「先輩、俺にも料理、手伝わせてください」ぐらい、言えばよかったのかもしれません。
この先輩はとても優しい人で、俺が会社を辞める時、「なんか、あれだねぇ、君に先輩らしいこと、何もしてあげられなかったね。もっと、シナリオの書き方とか、伝授する時間があればよかった」と言ってくれました。
当時、フィギュア好きなこの人のデスクは、アニメのフィギュアとか天井から吊るした戦闘機とかでごった返していて、たまに会長から怒られていましたが、今でもあの状態なのでしょうか(笑)。
※
今日の夕方5時半ぐらいのテレビ東京のニュースで、東海道57次守口宿と電気自動車の話題が放映されていましたね。
僕は、かつて守口で執筆していた有名作家江戸川乱歩を町おこしのためにもっと情報発信してほしいと守口市に僕が頼み込んでいるのが縁で、半年ぐらいずっと、守口の歴史の研究会に参加していました。
それで昨日は、みんなで文禄堤を歩いてみるという企画がありまして、その時にちょうどテレビが取材に来たのです。
本来は、淀川製作所さんの電気自動車の取材のためにやってきたらしいので、私たちにとっては、タナぼたでしたね。
ありがとうございます。
ほんの1秒ぐらいですが、僕もテレビ画面に映っていましたね。
もともと守口は京都と大阪を結ぶ京街道の一宿。
守口・枚方・淀・伏見がこの京街道の内訳なんです。
この道が、実は東海道と通じているということで、守口から品川までで東海道57宿だ、ともいえるわけなんですね。
ちなみに、僕が住んでいる守口市桃町のあたりは、昔は木崎島、もっと昔は狼島といいまして、淀川の中の島だったみたいですね。
僕が一時住んでいた下島もそうなんじゃないでしょうか。
ちなみに、この狼島のあたりは、河内の国ではなく、摂津の国になっていたようですね。
余談ですが、僕が青春を過ごした、川向うの高槻市は、摂津の国で、西国街道の一宿です。
歴史館があって、大体的にこのことを宣伝しています。
守口市も、もっともっとアッピールしてほしいなと思います。
今日は、春日の守口第3中学の夜間中学校の40周年記念行事に行ってきた。
スタッフの方の一人が、関西大学の先輩で、それで声をかけてもらった。
ありがてぇ。
いや、それにしても、夜の学校っていうのは、いいね!
俺もさ、ほら、わりと、ノスタルジックでセンチメントな人間だヵら、こう、胸がきゅんきゅんよ。
いったん夜間中学の歩みのビデオ放映があって、そのあと休憩時間があったんだけど、その時に見た、夜の誰もいない校庭。
夜更けに自転車こいでるデザインの、夜間中学のチラシ。
いいねぇ。
俺もさぁ、もう一回、子供のころのように、全部忘れて、あぁ、中学生に、戻りたいよ。
卒業してしまった学校は、永遠のノスタルジーなんだ。
あの日あの時、教室にいた彼たち彼女たちの影を、ずっと僕は追い求めているンだ。
あの日教室にいた彼女に、もう一度恋したいよ。
あの日教室にいた彼、もう一度友達なったりしようぜ!
※
新聞に、守口市が三洋の本社ビルを買い取るかもって記事が出ていますね。
俺自身、2年ほど前に本会議で市長に「庁舎建て替えとかどうよ。どうせだから超近代的にして、下駄ばきで商業施設とか併設させちゃおうぜ。駅前開発しまくろうぜ」みたいな質問を投げかけたんだけど、もしも庁舎移転が現実化したら、本当に駅前の雰囲気を変えるチャンスですよね。
地下鉄守口駅前が殺風景すぎるのを何度も訴えてるんで、とにかく、もっと再開発してほしい。
ただし、息苦しいだけの都会はかんべんな。
プライオリティの発揮できる、田園都市風にならんかねぇ。
びっちり道が現状で出来上がってるから、難しいか。
まぁ、まだ実現化されるのかどうかわからんけど、やるなら、できれば、いい加減な移転にせずに、デザイン面とか、内容とか、できる限り最高のものにしなきゃだよね。
もしも、三洋のビルを買うなら、50億円ぐらいかかるわけでしょ。
財政難の中、それだけの投資をしたんだって、はっきりと誇りを持って胸を張れるぐらいの企画にしなきゃ、何やってんだってことになりかねないもんね。
とにかく、やるなら、中途半端にせずに、最良のものにしなきゃ!
俺、よく思うんだけどさぁ、大人になると、休日って、めっちゃ貴重じゃない。
そのめっちゃ貴重な休日も、生活のためのこまごまとした用事で潰えちゃうことって、すっごい多いわけじゃん。
役所に行って必要な手続きとかしてたら、大事な休日が無駄になっちまった、ちきしょーっ!みたいなことって、よくあるじゃん。
でも、もしも、役所が、すっごい綺麗で、屋上庭園とかあって、ショッピングもできて、おしゃれなカフェとかもあって、採光面でも明るい気分になるように設計されてたら、それこそ、休日にイオンに行くのとそんなに変わらなくなるわけじゃん。
休日に役所に行くのも、苦にならなくなるわけじゃん!
だから、どうせもしも建て替えるなら、「行く価値のある建造物」にしなきゃ意味ないと俺は思うんだよね!
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