どうにも最近、口先だけの輩が増えていないだろうか。
自分の口ででかいことを言うが、それをやったり、そのことで被害をこうむるのは結局他人、という。
そういうの。
先日、どんぶり屋で食事していたら、隣の席の外国人が、醤油をかけずにネギトロ丼を食べていた。
散々迷ったのだが、「ヘイ、ソイソースはライスの上にスプレットするんだぜ」と言ったら、結構感謝された。
Amazonで注文していた、友部正人のエッセイ集「ニューヨークの半熟卵」が届いた。
友部は、90年代の後半あたりから、ニューヨークにアパートを借りて、東京とNYとを行ったりきたりしているけど、どうしてそんなことをしているのかが、気になったのだ。
この数日、いろいろなことが頭を回っている。
死んでしまった人のこと、昔よく聴いたジャズ、パブロピカソ、僕の20歳のころ……。
20歳になったとき、僕は大学を途中で逃げ出して、埼玉に向かった。
井上さんのお通夜でした……。
僕は入り口で受付をやっていたので、お焼香のときに少し参加しただけですが、写真が、笑顔の井上さんだったので、なおさら泣けました。
かしこまった正装の写真じゃなくて、帽子をかぶった、笑顔の、いつもの顔だったせいで、なおさらいつもを思い出して、涙が、止まらなかった。
先が尖っているので
さらに研ぎ澄ませて
接続しろ
差込口は
広げておけ
僕たちは
友達だ
だから
君の肌が冷たくないように
心まで閉じてしまわぬように
先は
氷に浸して
尖らせておく
もっと
さらに
奥へ
奥の部屋へ
そしてやがては
偏在を詠う詠うことができる日まで
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