Amazonで注文していた、友部正人のエッセイ集「ニューヨークの半熟卵」が届いた。
友部は、90年代の後半あたりから、ニューヨークにアパートを借りて、東京とNYとを行ったりきたりしているけど、どうしてそんなことをしているのかが、気になったのだ。
読んでみても明確な理由というのは、わからなかったけれど、東京で、「いつでもいる人」であることに、疲れたのだという。逆に、NYでは、「いつもいない人」になれるという。
一種の逃避なのかもしれない。
1973年にも、友部は単身NYに渡っていて、そのときの失望感が、「開いているドアから失礼しますよ」という、とてもさびしい音楽になっていた。
およそ25年を経て、もう一度アメリカに渡り、当時一緒にツアーをしたことのあった、ランブリン・ジャック・エリオットと偶然再会して、声をかけると、岡林友康と、最初勘違いされてしまう。
「違うよ、一緒にツアーをした……」
と言うと、ランブリン・ジャック・エリオットが、
「あぁ、あのハーモニカホルダーの坊やかぁ……」
と答えるシーン、僕は目じりが熱くなった。
25年というのは、恐ろしいほど長い時間の経過である。
1973年、友部は、大柄な白人から見るとハーモニカ吹きの坊やだった。
これが、友部が大成功を収めてNYに凱旋したというのなら、別段たいした感動はない、ただのビルドゥングスロマンス的再会に過ぎないが、二度目の渡米もまた、あてのない旅に過ぎないこと、それも、旅というには、重い、「居心地の悪さから逃げるかのような」旅であること、その結果、不意に、1973年の知人に、出会ってしまうこと。
そんな、いろんな空しさが、僕の目じりを、熱くさせたのだ。
※
このところ、その友部の、最近の歌のタイトル「わからない言葉で、歌ってください」が、頭から離れない。
何をするときでも、その言葉が、心を駆け巡っている。
相変わらず、友部の書く詩は、現代詩的なところがあって、一定の意味はとり難いのだが、わからない言葉で、歌ってほしいこと、自分も、わからない言葉で、歌いたいこと、言葉がわかるようになると、今度は人がわからなくなること、などなど、抽象性の持つ意義について、いろいろと考えさせられるような含みがある。
というのも、僕はまさに、この数年間、現代社会の持つアナウンスの「あまりにもわかりやすいという問題」が気になって仕方がないからだ。
テレビ・新聞・取扱説明書・アジビラ……その単位が大きくても、小さくても、妙なものわかりのよさが、背後霊みたいに、世の中にくっついている。
それらは、一見、親切なようでいて、人々に向かって実は、「考えるな、都合のいい動物になれ」と、思考停止を迫っているかのようだ。
たとえば、ちょっと前に流行った、美しい国なんて言い方にしても、僕には、(その思想内容ではなく、切り口が)不思議でならなかった。
そんな言葉を、簡単に口にだしちゃえる人ってのは、言葉に対して、よほど誇りが無いんだろうな、と思った。
でないと、そんなお手軽な言葉、絶対に使えないからだ。
本来なら、絶対的に美しいものなんてのは、存在しない。
美しいものは、別の方向から見れば、ひどく醜悪だったりする。
世の中の成り立ちというのは、勧善懲悪や、二項対立なんかが、入り込む余地が無いほどに複雑だ。
ただし、その複雑さから目をそらしてしまうと、美⇔醜や、高⇔低といった、単純さに逃げ込んでしまえる。
だから僕は、美しい国って言葉を聴いたとき、「あ、この人は、複雑な問題から逃げちゃってるな。甘えやがって!」と思ったものだ。
そして、そういう逃げや楽に取り付かれちゃってるのが、今の社会の風潮だ.。
僕は、もう一度世間の人々みんなが、難解な現代詩を読んでくれたらな、といつも思う。
一時期、僕たち日本人は、あるいは、人類は、簡易なものに取り込まれてしまわないように、難解に思考するという訓練を、必死でやっていたはずなのだ。
そしてそのころ、世界中には、たくさんの、わからない言葉があった。
でも、それで良かった。
意味のわからないものを、理解しきる必要なんて無い。
そのわからなさを、許して、付き合う。
そのことが、大事だったのだ。
そのことが明らかに、人類の知性に、足し算をしてくれていたのだ。
でも確かに、最近、わからない言葉が、なくなった。
その代わり、僕にはわからない人が増えてきたと思うよ。
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たまに行く、喫茶店で、ママに「あなたは素朴だから」と言われた。
確かに僕には、華がない。
僕は、戦略的なことが苦手で、こうやって書く言葉は、たとえ複雑でも、ほとんどそのまま、自分の心境を表している。
僕の持論は、いつだって、「心は複雑だ、だからその複雑さをできる限り全部書くんだ」ということだ。
僕はいつだって、思考過程そのものや、状況そのものに、興味がある。
僕は学生のころ、2本の映画を自主制作で撮ったけど、そのどちらも、ある問題について、堂々巡りの思考を続けていくだけの内容だった。
僕がそこで言いたかったのは、「単純に答えを出すことに、抗え!」ということだったんだ。
でも、僕のその、素朴な声は、あまり理解されなかった。
みんなそこに、意味や答えを見出そうとした。
※
これからどんどん、世の中の、わからない言葉が消えていったら、どうなってしまうんだろうか。
そのことが、心配で、ならない。
人々はもう、エリオットを読まない、ゴダールを、見ない。
単純な善悪ゲームばかりが、メディアにも、イデオローグにも、跋扈していく。
いつから、こんなにも安っぽい世界になってしまったのだろう。
僕は、まるで、1973年の、友部正人のように、深く失望して、どこか、小さな、まだ残されたわからない言葉のある場所で、一休みをしたくなった。