一般的にボブ・ディランの作った大傑作アルバムは、「追憶のハイウェイ」(1967年)「ブロンド・オン・ブロンド」(1969年)「血の轍」(1975年)だといわれている。
それぞれに収録された「ライク・ア・ローリングストーン」「雨の日の女」「愚かな風」を聴いたことがない人はいないであろう。
僕は学生時代、ブロンド・オン・ブロンドを聴いてディランに夢中になった。
追憶のハイウェイも血の轍も、全体としては好きだ。
特に、追憶のハイウェイのタイトル曲(Highway 69 Revigited)は、歌詞の内容のその終末思想的な雰囲気と相まって、記憶に深く残っている。
いろんな罪が、国道69号線で行われる。
まるでごみの不法投棄のように、罪状が国道69号線に打ち捨てられていく。
それをよく見るために、再訪しなくてはならない。
そんな歌だ。
歌の内容と邦訳の追憶のハイウェイというのは、合っていない気がする。
追憶のハイウェイという邦訳は、軟に過ぎる。
でも。
僕は昔から、「ライク・ア・ローリングストーン」や「愚かな風」という歌は、内容的にはあまり納得できないでいた。
それは、これら二つの歌が、あまりにも強い「なじり」の歌だからだ。
ご存知の方も多いと思うが、ライク・ア・ローリングストーンは、落ちぶれた知人にさらに蹴りを入れるような歌である。
「お前は、昔金持ちでいい気になってたけど、一文無しになったな。どんな気分だい?落ちぶれて、帰るあてもなく、転がってる石みたいになっちまった気分はよぉ」
というような歌である。
一方「愚かな風」は、自分を捨てた女を「馬鹿」とののしりまくる歌である。
「お前は馬鹿なんだよ、このバカ女、お前がしゃべくるたびに口から汚い息が出ていたのを知らないのか」
とののしる歌である。
これはひどすぎると僕は思っていた。
でも、売れた。
正直、ディランの数多い歌の中で、一番有名なのがこの二曲と言っても過言ではないほどなのである。
結局のところ、人間というのは、心のどこかでストレスを抱えていて(当たり前だけど)、それを誰かに解消してほしがっているのかもしれない。
確かに僕自身、ディランがきわどく醜い歌を歌うと、すっとするのだから。
一方で、最近の日本のポップスは、どうにもきれいごとが過ぎることが気になる。
喫茶店で、流れるラジオに耳を澄ませば、他人を糾弾する歌が、全く聞こえてこない。
みんな、恋をして切なくなって、ありがとうと言ったりさよならと言ったり、あるいは家族にありがとうと言ったり。
そんな歌ばかりである。
むかし、加川良や友部正人や高田渡や三上寛が歌っていたような歌は、どこからも聞こえてこない。
僕はそういうのは、世の中が落ち着いた証拠なのかな、と思っていた。
でも。
どうにもそうでもない。
ラジオから聞こえる歌が、すごくきれいごとばかりをうたっている一方で、テレビではコメンテイターや文化人や芸人が、汚い言葉で他人や世間を批判している。
むしろ、メディアが放つ言葉の節度は、振り切れているようにも見える。
石原にしろ橋下にしろ、政治をやっている人でさえ、汚い言葉で他人をののしっている。
そのののしり方は、まるでボブ・ディランの歌の中の文句のようだ。
あぁ、と僕は思った。
このねじれはいったい。この気持ち悪さはいったいなんなのだ。
ラジオの中の作り物の歌が、きれいごとをうたってる。
現実の偉い人たちが、汚い口調で他人をののしっている。
それらを両方聴いて、受け止めて、納得している人々がたくさんいる。
そうか、やっぱり、結局。
どこかで誰かがだれを責めないと、ストレス解消をしてあげないと、ダメな動物なのだ、人間は。
そして、そういったカタルシスが、現代では、フィクションではなく、現実の世界(評論や政治)のほうで求められている。
これは、一見、カタルシスの在り方としては過去と同じように見えて、実は非常に狂った世界だ。
ボブ・ディランの歌が、いくら落ちぶれた友人や古い恋人を口汚くののしっても、彼・彼女は、ここには実在しない人間である。
その口汚い罵りは、実在する誰かを傷つけないので、いくらでも聴けるし、いくらでも我々はそれを聴いてストレス解消できる。
でも、政治や評論という現実の世界がそれをやりだしたら駄目だ。
それは、実際に自分たちに、刃として戻ってくる。
皮膚が切れ、血が流れる。
本物の、血の轍が出来上がってしまう。
だから。
私たちは、想像力を働かさなくちゃならない。
テレビの中の政治家たちや芸人たち、あれは、フィクションではないのだぞ、と。
あれは、現実に私たちを刺せる刃なのだぞ、と。
そして、カタルシスを感じたいなら、きれいな歌ばかり歌ってないで。
歌という虚構の世界でだからこそ、虚構のきれいごとではなく、醜い言葉を、ありったけ自分の本性を、さらけ出してしまえばいいのだ。
そうでないと、あんたらは、気が付かないうちに。
転がる石になっちまうかもしれんぜ。