成人式でしたね。
ついつい「人生に失敗しないようにね」という言葉が口をついて出た。
加川良の「教訓Ⅱ」ではないが、「ぼんやりと青春を過ごすと後で後悔する」というのが、20代も終わりに近づいた僕がいつも考えてしまうことだ。
僕自身、何かになりたくて、何かになれそうで、でもどうやって何になればいいのかわからなくて、結局、無意味に悩んだり、だらだらしたりして、気が付けば年を取ってしまった。
もっと若いころは、いろいろとつらいことが多くて、とにかく忘れたくて、酒ばかり飲んでいたけど、お酒なんてどれだけ飲んでも、自己実現につながったりなんかしない。
自分の能力を整理して、どこをどう伸ばすかを自己把握して、計画的に過ごすことでしか、夢は実現しない。
酒を飲んで、ロック(ジャズでもいい)を聴いて、こ難しい本を読んでも、それは単なる、自己満足でしかないのだ。
ぼくは、そうやってすごしてしまった青春期(20代前半ごろ)に対する、悔しさがある。
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もちろん、自己実現マシーンのように生活をして、だらだらする時間がないと、それはそれでつまらないだろう。
ようは、「人生の密度との折り合い」が大切なのかもしれない。
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問題は、僕自身の資質にあるのかもしれない。
旅が好きだったので、学生のころは、いつも一人でふらふらとしていた。
そうやって経験を積んでいるつもりになっていたけれど、結局のところ、根無し草体質が強化されただけだった。
僕はいったい何を見てきたというのだろう。
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20歳前後のころは、とにかく、自分を傷つけたかった。
一度ぐちゃぐちゃに自分をつぶしたら、新しい何かに再生できるんじゃないかなと、心のどこかで漠然と考えていた。
もちろん、そんなことはありえない。
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先日、友人と話していて、僕たちは早熟だったのだ、という話になった。
ずっと子供のころから、大人が遊びに行くようなところばかりに遊びに行っていた、と。
でもそんなこと、なんの意味もない。
僕たちは、その分だけスポイルされてしまった。
そして、大人になれば誰だって自然に、大人の遊び方を覚えてしまう。
僕たちの経験は、単純に追いつかれ、もっとむなしくなっていくのだ。