ちょっ前の話題だけど。
REM(アメリカのロックグループ)が解散してしまいますね。
残念ね。
REMといえば思い出すのは、ブッシュのイラク戦争。
REMは当時、イラク戦争に反対して、反ブッシュ運動を展開したんだよね。
STOP BUSHって書いたTシャツを着て歌ったりして。
でも、盲目的愛国心にかられたバカな連中によって売国奴扱いされてレコードを割られたりしまくったんだよね。
どこが売国奴なんだか。
自分の国の批判ができるっていうのは、すごく勇気ある行為だ。
対して自分では何もしない連中が、一方的に敵を決めつけて罵倒しまくる構図って、いまの日本でもおんなじだけどね。
他人の批判をするのって楽なんだよな。
あのころ、真っ向から戦争に反対した勇気あるバンドには、カントリーバンドのディキシー・チックスもいたけど、彼女たちもレコードを割られたり、ラジオ局に妨害を受けたりした。
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一方で、先日映画館で、ポール・マッカートニーが9.11に際してミュージシャンを集めて「みんなで結束して敵と戦おう」みたいに吠えたドキュメンタリー映画の予告を見た。
「おいおい、薄っぺらいな」と思った。
それは間違ってるぜ。
そういう単純な考えをするから、戦争が始まって、さらなる命が消えていくんだぜ。
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僕は、フリードウッド・マックのファンだった。
でも、彼らが、9.11で命を失った白人たちのことを、いち早く流行に乗るかのように歌にしたことには、僕は辟易とした。
その歌にはどうして、白人の命の尊さは歌われていても、中東の人々の命の尊さは歌われていないのだろう。
どうして彼らには、テロに踏み込まざるを得ないほどに追い詰められた人々のかつて失われていった命のことに、想像力がいかないのだろう。
これが肥え太った白人至上主義なのか?
それとも、単なる想像力の欠落なのか?
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チャーリー・ウィルソンズ・ウォーという映画がある。
アメリカの下院議員のチャーリーの善意のつもりの施策が、結果的にアルカイダを育てる温床を作り上げるという内容の作品である。
物事はいつも、複雑に、ブルーにこんがらがっている。
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日本人もアメリカ人も、もっと、一方のことだけではなく、刹那だけのことではなく。
遠い場所でかつて失われた命、これから別の場所で失われていく命のことに、想像力を働かせるべきだ。
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そんなわけで、さよなら、REM。
あなたたちの勇気ある行為を、忘れないし、それ以上に素晴らしいレコードのことも、これからも聴きつづけていくだろう。
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そして、僕は想いを馳せる。
あの、9.11の時に、反抗したミュージシャンのことを、
迎合したミュージシャンのことを。
沈黙したミュージシャンのことを。
一つだけはっきりと言っておく。
ポール・マッカートニーやフリードウッド・マックのように、さっさと反応して9.11を悲しんで愛国心をあおって見せた連中よりも、沈黙を貫き通した連中のほうが、いくらか勇気がある。
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自分の身に降りかかった火の粉を、自分の分だけ振り落すことは、正しい行為だ。
でも。
他人まであおるっていうのは、そういう正義の味方気取りの連中は、僕はいちばん許し難い。
いつだってそう思ってる。