雑記君。
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今日、所要があって難波に行って、地下街でKYKのとんかつを食べた。
数年ぶりに食べたけど、そんなにおいしく感じなかったな。
後ろの席に座った人がやたらと体を前後に揺らしながらしゃべっていて、何度も背中が僕の背中にあたってウザかった。
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中学生の時、京橋にある京阪モールで、友人のSとKYKのとんかつを食べたことがある。
ちょっとませた感じだったSが「ここで食べようぜ」と言って、かなり高級な雰囲気に思えたので僕は躊躇した。
ちょっと悩んでから清水の舞台から飛び降りる気分で1000円ぐらいするとんかつを食べたけど、「世の中にこんなに美味い料理があるのか!?」と感じるぐらいにおいしかった覚えがある。
「でも、こんなに高いんじゃぁ、めったに食べられないなぁ」と残念に思ったのもよく覚えている。
一方、Sは、こづかいをたくさんもらっているのか、全然普通そうにしていた。
中学生のころ、あれだけ感動したKYKのとんかつだったけど、29歳になって食べてみたら、ちっとも感動しない。
これはなぜだろうか。
俺の舌が変わったのか、それとも料理の質が落ちたのか。
きっと、俺の感性が老いたのだろう。
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中学生のころは、外で食事をするのが楽しみでならなかった。
学校の食堂のカレーが最高においしく感じられたし、週に一回、天王寺にある塾へ通うついでに、ステーションビルにある熊五郎というラーメン屋でラーメンをすするのが喜びだった。
あの頃食べた、ラーメンの味や、同じステーションビルにある富士屋という蕎麦屋の天ざるの美味さを、いまでもありありと思い出すことができる。
でも、熊五郎に行っても、富士屋に行っても、いまはたいして美味しいと感じられなくなってしまった。
悲しいことだ。
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年々、感性が鈍り、物事に対するみずみずしい感覚を失っている。
この数年間、何かを食べて、本当に心からおいしいと感動したことがないような気がする。
最後に、本当においしいと感じたのは、20歳ぐらいのころ、埼玉でシナリオライターをしていたころに、先輩に連れて行ってもらった「ガッテン寿司」という寿司チェーン店の「ネギトロ軍艦」だ。
何とも言えない、おいしいネギトロだった。
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その前後、19歳から22歳ぐらいまでの間、僕はいつも腹を空かせていた。
飢えて飢えて仕方がなかった。
とにかくひもじい気分で、いつもイライラしていて、自分がおかしくなってしまったんじゃないかと思うほどだった。
でも、そのころぐらいから、何を食べてもたいして美味しいと感じなくなっていった。
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どう思い出しても、何を食べてもおいしかったのは、中学生ぐらいの、無邪気だったころだ。
飛鳥のたこやきを食べても、マクドナルドのハンバーガーでも、はっと目が覚めるほどおいしく感じられた。
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どうして、人は変わってしまうのだろう。
感性を鈍らせてしまうのだろう。
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僕は、自分の心が、少年時代よりも強くなったと思っていた。
僕は、無口になり、弱音を言わない男になった。
人に何かを求めてばかりの子供ではなくなった。
反戦ばかりを唱えて、それ以外の価値観をすべて否定してしまうような極端な人間でもなくなった。
僕は、そういった変化をずっと、自分が強くなっていく過程だと思っていた。
しかし、僕は本当は、ただ単に年をとってどんどんと、鈍感になって行っているだけなのかもしれない。
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いまでも、センシティヴな部分は、たくさんある。
いまだセンシティヴに過ぎるので、自分でも困ってしまうぐらいだ。
だけど一方で僕は、悲しいほどに、鈍っている。
もう一度、あの、無邪気な頃に戻りたい。
本当に強靭な心を手に入れて、人生を楽しみたい。
KYKのとんかつを食べて、ふとそう思った。