昨日、清志郎の映画、「ナニワサリバンショー 感度サイコー」を見てきた。
エド・サリバンショー(イギリスの音楽番組)に対して、大阪でやるからナニワなんやね。
しょうもないギャグやなぁ。(笑)
キヨシローがいろんなゲストと歌うんだけど、なかなか見ていてつらい映画でした。
というのも、結構演出された、いかにもショーっぽいステージで、「これを何回も繰り返すのって、つらくないかい?」と俺なら思ってしまう。
キヨシローも、死ぬ数年前だからか、もう年をとったからか、アップで顔が映ると、何とも疲れた中年の表情をしている。
なんかね、無理して「ノってるロックシンガー」を演出しているように見えてならなかった。
大阪ゆかりの若手DJみたいなのが出演するんだけど、なんか、この人も、気張りすぎてて痛々しい。
そんなにいかにも元気そうに声張り上げなくてもいいよ、って思ってしまうし、見ているこっちまで気が張っちゃって疲れてくる。
間カンペーも出てくるんだけど、けっこうお寒いギャグを見せられて辟易。
一番むかついたのが、ウルフルズのトータス松本。
ゲストで出てくるだけなのに、最前列で客に向かって「ありがとう!!」とか連発して、「おいおい、お前のライブかよ。うぜぇな」と俺は思ってしまった。
でしゃばりすぎだろ。
その点、気張らない、肩の力が抜けた感じのチャボが一番見ていて落ち着いた。
映画の最後にチャボとキヨシローの二人っきりで「夜の散歩をしないかね」をやるんだけど、それが一番、俺は心にしみたなぁ。
キヨシローも、ド派手な格好をせずに、普通に黒い衣装を着ていて、「そうそう、歳とったんだから、それぐらいでいいんだよ。無理せず行こうぜ」と俺は思った。
本当の、弱弱しい彼が一瞬見えたというか。
キヨシローの声って、ちゃんと聞いたら、すごく繊細だと思うんだよね。
キング・オブ・ロックとか、そんなふうに大層な名前を名乗るキャラじゃないと思う。
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そもそも、俺って、大げさなスタジアム系ライブが大嫌いなんだよね。
小さな箱で聴くのがいいよ、やっぱし。
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で、夜は、知り合いの人のつてでニューオリンズジャズのライブ。
こっちは、肩の力が抜けてて良かった。
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一日に、ロックとジャズを聴き比べて、思ったんだけど、ロックってのはやっぱし、「己を消費する音楽」というか「不器用な人であることを旨とする」音楽だね。
反戦や抵抗っていう、ロックの根幹にある思想自体がそうだけど、自ら、敵に常にぶつかっていく感じ。
キヨシローとか見てると、そういう行為を繰り返しすぎて、自分よりも大きい敵に常にぶつかっていかなきゃならなくなって、時代の代弁をしなきゃならなくなって、それで押しつぶされちゃったんじゃないのか、って気がするんだよねぇ。
自分が損をする戦いをしすぎている。
そりゃ人間、ガタがくるよ。
ガッタ、ガッタ。
逆にジャズって、こう、「タフに生きる」音楽だね。
人からののしられても、ばか扱いされてもいい。
でも、自分の矜持は自分で守るし、俺は自分の範囲を守るだけだ、みたいな。
他人の代弁者なんかにはならない。
しかし、ちゃんと世の中の本質は、自分の目で見つめている。
基本的に、おおげさじゃない方法で独立しているんだ。
俺は最近、そういう生き方をしたくなってきた。
いまの世の中は、自分のナイフを他人にまでぎらつかせている奴らが多すぎる。
妙に押し付けがましいぜ。
正義の名前がきらめいた爆弾とナイフを他人に突き付けて「これが正義だ」ってのをやられると、息苦しい。
俺は、自由に生きるぜ。
自分の小さな善を繰り返すだけでいいんだ。
御大層な御題目はいらねぇ。
俺はコミックブックもいらねぇ。
大作もいらねぇ。
いまの世の中は、気張りすぎ。
※
先日テレビで、大阪の各区で区長選挙を行うっていう橋下氏の構想を見たんだけど、それって莫大な金が必要にならない?
選挙って、市の負担金がすごく大きいんだよね。
逆に財政難を招きそうなんだけど、そのへんの対策は考えてあるのかしら。
※
ピンクフロイドの、「炎」のボックスが発売されてる。
高いけど、欲しい。
忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコー!!!〜
“我らがKing of Rock’n Rollこと忌野清志郎への友情と愛情が詰まってます。まさに感度サイコ~” ナニワ・サリバン・ショーとは大阪のFMラジオ局FM802が主催し、2001年、2004年に〈続 ナニ…
トラックバック by 映画とライトノベルな日常自販機 — 2011年11月28日 @ 12:45 PM