はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年11月22日

教育のこととか、ジョージ・ハリスンの映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」とか。

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:40 AM

久しぶりに映画でも見たいということで、ジョージ・ハリスン(ビートルズのギタリストだった人)のドキュメンタリー映画を見てきた。

監督はマーティン・スコセッシ。

ジョージは、僕が高校3年生か浪人をしていたころぐらいに死にましたね。

友人とチャット(懐かしい)をしていたら、「おぃ、ジョージが死んだぜ。ニュースで流れてる」と友人が急に書き込んで、「え? どのジョージ?」「バカ、ビートルズだよ」みたいな会話になったような気がします。

同じような時期(2001年ぐらいかな?)に、ビー・ジーズのモーリス・ギブも死にましたね。

僕はジョージのソロはそれほど追いかけていなかったので、「へぇ」ぐらいにしか思いませんでしたが、ビー・ジーズはアルバムを30枚ぐらい持っているほどに追いかけていたので、考えさせられるところがありました。

というのも、ビー・ジーズのアルバムを並べてみると、ほんの10年前とか、ほんの5年前とか、ほんの1年前とかに、モーリスが普通に元気にベースを弾いたり歌ったりしているわけですよね。

さすがに、死ぬ直前のアルバムの録音のときとかは、体調が悪かったかもしれませんが、10年前のアルバムを録音しているとき、彼は、「いまから10年後に俺はこの世から消えてなくなっちまうんだぞ」とか考えたでしょうか?

考えていないだろう。

でも、たった10年ほどで、彼はこの世から消えちゃった。

そういうことを考えたら、とっても不思議な気持ちになったんですね。

ジョージの話から、それちまいましたね。

ジョージに関して僕が一番思い出深いのは、大学生のころ、友人にギターを弾いてもらって、お遊びで「絶体絶命(Between The Devil And The Deep Blue Sea)」を教室で歌ったこと。

この曲はもともとはさほど有名でもない古いジャズの曲ですが、ジョージも録音してて、ギターを弾いた友人がそのヴァージョンを好きだったわけ。

ジョージのドキュメンタリー映画は、正直、見るのがつらかったですよ。

4時間ぐらいある長い映画なんだけど、「ジョージの人生って、楽しくなかったんじゃないかなー」とずっと思いながら見ていました。

ビートルズがまだ売れていないハンブルグ時代ぐらいまでは、とっても楽しそうにやんちゃしてるんだけど、だんだん有名になってからは、ストレスの連続。

途中でインド哲学にはまったり、バングラディッシュでコンサートを開いたりするけど、あんまり楽しくなさそう。

ずっと悩んでる感じ。

エリック・クラプトンに妻をNTRされちゃうし。

ボブ・ディランとかトム・ペティとかとトラヴェリング・ウィルベリーズをやるけど、ジョージ自身が「ボブは結局心を開いてくれてないような気がする」とコメント。

で、50代ぐらいなのに、癌になっちゃうジョージ。

普通にかわいそう。

自宅で療養していたら、家に強姦が忍び込んできて、殴られまくる。

ひでぇな。

で、病院での死にかけの床に、リンゴ・スターがお見舞いに来て、「わりぃ、俺、すぐに発たなきゃならないんだ」「どうしたんだよ、もっといてくれよ」「いや、実はな、俺は俺で、娘が脳腫瘍でさ、ボストンに行かなきゃならない」って感じの会話に。

リンゴもかわいそう……。

で、そんな場面で「マジかよ。俺もお見舞いに行こうか」と返すジョージ。

なんか、もうね、見ててつらいドキュメンタリーでした。

ジョン・レノンもマーク・チャップマンに若くして銃殺されちゃうし、ブライアン・エクスタイン(マネージャー)も32歳で死んじゃうし。

ビートルズメンバーって、あんまり人生を楽しめてないような気がするよ。

と、ここまで書いて、やっと教育。

今日、教育委員会の人と、ちょっと話す機会があった。

子供がいじめにあった時、どうするべきか、みたいな、そんな話題。

僕は、最近、「自己成長のためにも、できれば自力で現状打破してほしいなぁ」と思うことが多い。

そのいじめを機会に、強い心を手に入れてほしいというか。

大人が手を出して助けたら、いつまでも自分で戦う方法がわからないままになるんじゃないか、っていう危惧を感じる。

これは、僕の周辺で、最近「俺、会社辞めたよ」みたいな言葉をよく聞くからだ。

僕自身も含めて、なんだか、甘やかされて育ったのか、こらえ性がない若者を見かけるような気がする。

子供のころは、それでも許されるかもしれないけど、大人になって社会に出てからこらえ性のない行動を繰り返していたら、自分の将来までつぶす結果になりかねない。

もちろん、世の中には、「Right Time、Right Place」という言葉があるように、自分にあった場所や出会いというものがある。

でもそれって、探し続けても、不毛な場合もある。

時には、我慢して、しがみつくことも大切じゃないのか?と、最近強く思うのだ。

でも、一方で。

いじめにあった子供が、それを乗り越えて強くなれるような子だったらいいけど、もしかしたら、乗り換えられず、うつ病になって、もっとひどい人生を歩むことになるかもしれない。

その可能性だってある。

そう考えたら、簡単に「乗り越えろ、試練だ」とも言えないようにも感じる。

いやぁ、難しい問題だ。

みなさんは、何か、いいアイディアありませんか?

2件のコメント

  1. 読んでいて、特にジョージのファンじゃないんだなあというのがよく伝わってきました。

    コメント by 通りすがり — 2012年2月3日 @ 7:56 PM

  2. ええ。文中に「真剣に追っかけてない」と自分で書いてるとおり、特にファンじゃないっす。クラウドナインだけは高校生ぐらいの時によく聞いたけど、アルバムも数枚しか持ってないし。それにクラウドナインってジェフ・リン色も強いからジョージっぽいかどうか全然わかんないしね。俺の大学時代の友達がジョージの大ファンで、そいつに誘われて映画に行ったんですよ。俺が持っててある程度ちゃんと聞いたのは、「オールザシングスマストパス」と「クラウドナイン」と「ブレインウォッシュド」と「遥かなるイングランド」だけ。数年前にもっとちゃんと聞こうかなと思った時期もあったんだけど、ジョージのソロってコピーコントロールCDだったから、なんか買う気にならなかったんですよね。ビートルズ自体が、僕が高校生のころは、あんまりにも有名すぎて、勝手に「これは権威的に過ぎる」と思って僕は毛嫌いしていたんですよ。で、ザ・フーとボブ・ディランを聴く方が格好いいんだとか勝手に思い込んでた。それが間違いで、ビートルズがすっごく反抗してるバンドなんだってやっとわかったのが大学生のころなんですね。上記のジョージファンの友人に「お前は馬鹿だよ」と教えられたのと、ジョンのソロにはまったのがきっかけでしたね。その体験を経て、あ、そうか俺って、かっこつけてディランを聴いてただけなんだなと気がついて、ディランをもっと真剣に聴こうと思うきっかけにもなったというw。

    コメント by hattori — 2012年2月9日 @ 11:41 PM

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