はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年11月16日

イラク戦争を見てきた(はずなのに)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 11:00 PM

こんばんわ。

守口市議会議員の服部浩之です。

先日の風邪を引きずったまま、くすのき広域連合の行政視察で長崎に行ってきたので、なかなかへヴィーでした。

帰ってきて一息ついて、へヴィーついでということで、ビートルズの「キャリー・ザット・ウェイト」(ボーイ、あんたは重たい荷物を引きずるんだ)を聴きつつ、先日買ってきた吉本隆明と江藤淳の対談本『文学と非文学の倫理』を読みました。

60年代から80年代に至るまでの二人の批評家の対談を編んだものですが、僕は吉本隆明の大ファンで、江藤淳もかなり好きなので、書店で見つけて一もにもなく購入したのです。

いやぁ、震えが来るぐらいいいですね。

こういう本を読むと、哲学が、政治の世界にちゃんと意見を言えていた時代があったのだなぁ、と感動します。

最近、総合誌を読んでも、こういう、純粋な討論ってのがないですよ。

立場が確定的だったり、相手を言い負かせようとばかりしていたり。

なんだか、「それって違うぜ」と思うんです。

それに比べて、この「文学と非文学の倫理」では、保守の江藤と進歩の吉本が、それぞれの立場にこだわっていない。

お互いに、文学と社会と政治を、とことん突き詰めて語りたいだけだという心意気が伝わってくるんです。

相手を言い負かせようとしたり、自分の確定した立場からの扇動的誘導だったりじゃないから、非常に微妙な、うす氷の上を行くような繊細な会話が成り立っているんです。

この繊細さを、最近の日本社会は失ってしまったのではないでしょうか。

たとえば、大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」や「厳粛な綱渡り」について批評した部分があります(ぼくは大江のファンですが)。

そこで、彼らは、「世の中を、秩序と、それを存在させる反秩序だけに分けてしまって、そこを逸脱しないなら、結局は良くないものも良いといわなければならなくなる自己矛盾に陥ってしまう」というふうなことを言うのですね。

これには、なる程な、と思いました。

これは、世の中全体を白黒で分けてしまったら、結局自分のよって立つ根拠にすべて従うことになってしまうという怖さを言っているのだと思えます。

正義漢面して、何かを批判していくと、そのうち、正義という自分の立場を守るための戦いになってしましかねない。

Aは正義だ、Bは敵だ、というふうに認定してしまえば、Bの言っていることの一部は正しいとしても、もうBは敵として認定したから、徹底的に全部おかしいと批判せねばならない、という矛盾に陥ってしまう。

それは、ちっともいいことではありません。

それを超えて、二元的思考法から、もっと柔軟な多元的な思考に向かわなくちゃならない。

行き過ぎた、一方が正義、一方が悪という決めつけではなく、同じ人間なのだ、と思えるようにならなければならない。

そういう、みずみずしい感受性をこそ、文学性と呼んだのだとも思うわけです。

いま、文学が廃れてしまって、ハウツー本やライトノベルばかりが隆盛を極めているけれど、それだけだとやっぱり、「うす氷の上を行くようなナイーブな感性」が忘れ去られてしまうのじゃないか、と危惧しますね。

テレビの報道や有名人の言葉を聴いていても、「これが絶対的正義だ」とか「これは絶対的悪だ」みたいな、単純な図式がはやりすぎている。

最近だと、公務員バッシングなんかも、その典型的だと思う。

公務員の中には、まじめな人もまじめじゃない人もいるし、志がある人も、有能な人もたくさんいる。

でも、「これは悪だ」と有名人が言い出したら、みんなでそれに倣えになっちゃう。

変な傾向だな、と思う。

僕が、そういう時いつも思うのは、「じゃぁ、自分が言われる立場になったらどんな気持ちがするだろう」ということだ。

言っている間や、他人が言われているのを眺めている間は楽しいかもしれない。

でも、自分が言われたら、どう感じる?

そういうことを、いつも考える。

イラク戦争のとき、悪の枢軸とかすごくハードな物言いが流行った。

でも、そのあといろいろあって、イラク戦争ってのは、必ずしもアメリカの正義の戦争とは言い切れないぞ、という側面がたくさん出てきた。

正義面をして、他人の批判を繰り返して、こぶしまで突き出した人間が、実は自分にも後ろめたいことがたくさんあったのだ、というような状況になってきた。

私たちは、そういった世界を、9.11以降、見てきたのではなかっただろうか。

単純な一方通行の、『「これが敵です、これが正義の味方です」は成り立ちませんよ!』という世界の在り方を見てきたではなかったでしょうか。

なのになぜ、いまだにこけおどしのようなフォニィ(形だけ大層華やかで中身が空っぽ)がのし歩いているのか。

空虚な野望論のようなものが、もてはやされるのか。

この世界は、本当はイラク戦争なんて、起こっていなくて、あれは一部の人の目にだけ見えた幻だったのでしょうか?

追記。

構図を単純化して、「俺が正義だ、あいつは悪」という物言いが出てきたら、「なぜ、そういう単純な構図に持っていこうとしているのだろう。誰か得をするのかな?」と考えてみるのも、大切だと思います。

シニカルさってのは、時には必要だ。

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