今日は勇気ある記述をする!
いまのこの、橋下のみがすべて正義という風潮に逆らう主張である。
産経ニュースウェストによると、橋下が、ツィッターを再開するらしい。
これは、公職選挙法すれすれの行為である。
本来なら、選挙違反すれすれの卑怯な行為だ。
だが、それを、「規律に反抗する勇気ある行為」と受け止める風潮が焦あることに、大きな疑問を感じる。
確かに、「反抗」は、若者の心をひきつけてやまない。
僕だって学生時代は、何度も反抗をして停学になったものだ。
しかし、政治というのは、そういう次元にあるものではないのである。
そもそも、考えてみてほしい。
複数いる候補のうち、一人だけが、公職選挙法を無視して、発言しまくるとする。
それって、その一人以外の、真面目に法律を守って発言をしない人からしたら、とんでもない不公平な行為である。
その行為って、格好いいのですか?
改革なのですか?
笑わせるなよ。
ただの卑怯な行為だ。
真面目に法律を守っている人を馬鹿にしたただの卑怯な行為である。
テストでカンニングしている子供を「えらいねぇ 反抗しているねぇ 改革者だねぇ」と褒めるようなものである。
それを理解できないようなら、もう、大阪府民は、腐りきっている。
※
こういうことを書けば、またどうせ先日のような変な書き込みが来るのだろう。
しかし。
橋下をほめることのみが、絶対的正義か?
おかしいことにおかしいということは、できないのか?
僕には勇気がある。
だから、おかしいことには、どんな逆風があろうと、反抗する。
もしも、この時期に一人だけがツィッターで発言を繰り返すとしたら、それは、他の候補者に対して不公平であろう。