大学院で政策の研究会があって、その関連の個人研究で激しく時間を食われている。
当たり前の話だが、「勉強」というのは、一・二時間有名な先生の講義を聴くことではない。
そんな程度で人は頭がよくなったりはしない。
国会議員も含めいろんな政治家がよく「講義に行ってきました」と言い訳のようにほざくが、数時間程度偉い先生の講義を聴いたところで、一向に頭なんかよくならないのである。
重要なのは、それに関連する部分を、どれだけ自分で調べられるかだ。
よくよく考えてみてほしい。
社会システム論の権威に、ニコラス・ルーマンがいる。
ルーマン論を二時間偉い先生から聞いても、何もわからない。
絶対に。
自分で、ルーマンと、その解説書籍を、一年間は読み込まないと、入り口にすらたどり着かないのが事実だ。
私は、学生時代先輩がルーマンを専門的にやっていたので、聞きかじったが、まったくわからない。
吉本隆明(日本の思想家)が好きで、40冊ほど読んだが、まったく理解できていると思えない。
本気で行政学をやるというのは、生半可ではないのだ。
よって、勉強会で講義だけを聴いて自己満足している(あるいは後援会への言い訳にしている)政治家よりも、実務ができるレベルまで習得している役人さんのほうが、100倍は詳しいのである。
※
電車での移動時間を使用して、某映画監督のメモワールを読む。
「映画監督は、スタッフが対立しないようにきっちりと責任を持たねばならない」という言葉に感心する。
僕は、学生時代自主製作映画を何本かとっていた。
そのころの経験から言っても、これは正しい。
映画を撮るには、時間も金もかかる。
時間の有効利用、コストを最小限に抑えるためには、できるだけスムーズに進めることが大切である。
そんな理知的なやり方に芸術は生まれない?
なめたことを言ってもらっちゃ困る。
芸術を完成させるためには、しっかりとしたスケジュール管理は必須なのである。
われらが守口市の9月議会は、無駄な時間とコストばかりが浪費させられた、不毛な議会であった。
やたらと与野党の対立があおられ、何も前に進まなかった。
政治というのは、むなしいものである。
対立を演出しなければ、市民に見てもらえない、と恐怖心を感じる人間が、対立をあおろうとする。
そして、メディアも市民も、それを喜ぶ。
でも、よく考えてみてほしい。
政治だって、映画を作るのと同じである。
スタッフが対立していては、映画は撮影すら始まらない。
市政だって同じで、対立軸を演出するために無理難題ばかり投げかけていても、一向に政策は実現しない。
僕が、9月議会で悲しかったのは、与党の議員に、「話し合おう」と声をかけたにもかかわらず拒否されたことだ。
話し合いを拒否するということは、話を深めたくないということだ。
また、傍聴に来た市民の一人から、「野党は野党らしく反対をしていろ」という旨を言われた。
これも、馬鹿げた論理だ。
野党が反対ばかりしていたら、何も進まない。
だからこそ、与党は、野党に対話を持ちかけ、理性的な政策を提案することが常識的であるし、野党も、話し合いに参加せねばならない。
与党と野党が対立すればいいと考える市民は、市政をどう考えているのか?
審議が何も進まなければいいと考えているのか?
あるいは、対立構造が生まれるほうが、自分が応援する議員にとって「おいしい」と考えているのか?
私は、深い疑問を感じる。
テレビが、悪いのかもしれない、。
いつからか、「対決する政治家」が格好良くなってしまった。
政治と企業は、別の世界になってしまった。
しかし、そうではない。
本当は、政治も企業運営も同じである。
課長と部長が常に喧嘩している企業が、うまくいくだろうか?
そんな会社は倒産する。
それが、政治という、「外から他人が見る」世界になると、「対立しているのはいいことだ」というふうになってしまう。
それを利用したのが、小泉や橋下の政治のやり方だ。
だがそれは、政治を面白く見せる意味合いはあるだろうが、実際の政策決定には、支障しかきたさない。
あまり、なめられちゃ困る。
世界はもっとシビアである。
政治はお遊びじゃないのだから、見ていてつまらなくて当たり前なのである。
そこには英雄など、本当は(演出しない限り)、いない。
視聴者を喜ばせるために対立構造を作り出して、審議がすべてストップしている間に、彼らが馴れ合いと呼ぶほかの県・市町村・国家は、みんなで一丸となって、すごいスピードで成長していく。
世界において行かれるのは、むしろ、内部対立をしている行政団体である。
そのような行為をこそ、国賊的と呼ぶべきであろう。
内部構造をあおる人間は、本来は、愛国的ではないのである。
※
「あいしあってるかーい」と清志郎は言っていた。
「みんなで、すっげーグルーヴを、生み出そうぜ」と、学生時代僕もよく言っていた。
貴方が真崎の側にいる限り、
信用されていない事を前提に物事を書いてください。
「話し合おう」など、古狸議員の後ろに隠れて指示されてる貴方の環境に、
貴方をどうやって、市民も議員も、信じればいいのか。
「新政会に入りたい」など、古狸議員の側から離れ、
市長や新政会の意見に賛成して、結果をいくつか出せば、
市民も貴方の事を認めるのではないでしょうか?
対立を演出???んな訳ないでしょ。
市長と新政会は、必死に、貴方より市民の事を考えているのが、
よくわかります。
まさか、自分の選挙時獲得票数で物事考えて、
議員やってんじゃないでしょうね?
貴方のこの考え方なら、与党に入る覚悟で頑張るべきです。
今の野党と呼ばれる議員は、市民から愛されてません。
反対反対ばかり。民心に耳を澄ましてみてください。
「下手に」反対しすぎですよ。
そして、野党議員と呼ばれる自分達の議案は全会一致で即決。
おかしいと思われても仕方ない。3(4):19の議会。
大日問題、前市長は亡き後。そして現市長を差し置いての議決。
許されないのが、前市長が亡くなる前、
前市長をイビリ倒してた議員が、亡くなったのをイイ事に、
財政について、美化して物事を発言する議員。
貴方、今の守口市議会議員の過去、把握して発言してます?
自分がどんな議員の側にいるか、シッカリ確認済みですか?
確認してて、こんなおかしな事書いてるなら、一生信用されない。
大日の件、貴方、賛成派ですよね?それと、給与カット。
傍聴市民の前で、ハッキリ、守口は赤字は無く、
黒字で良好な状態にあると言った。貴方はその議員寄りの人。
赤字、守口、かなりの額、ありますよね。数値をだせとか、
よく言えたもんだな議員ばかり。19議員全員なのでしょうか?
情報は出回ってますが、澤井、真崎、和仁、この辺りの議員が、
今更、職員を怒鳴っているなら、助けるのが人。職員が気の毒に思います。
人も足りず、人件費抑えなければ徴収できない物もあるとか。
ちなみに言っておきますが、私は一般市民です。関係者でもありません。
赤字ありましたと、謝罪するべき。
一般会計のみだけ語るなど、市民の前でよく言えたものです。
黒字で良好な状態と言った事を撤回し、赤字、借金、ありましたと、
12月本会議で傍聴市民の前で、言えるもんなら言ってみては。
ちゃんとそちら側も細かい細かい「数値を出して」。
・・・言えない環境に、貴方はいるのです。
そんな人を、信用できますか?ハッキリ言って一般の会社でも、「無理」。
若いのですから、これから市民の喜ぶ側に付き、
市民の為に与党に入ってみてはどうでしょう。
無所属だから、注目はしていたのですが、野党とは残念です。
最後に、橋下さんは、苦悩に苦悩に苦悩を重ね、
貴方みたいな新人議員が語れるような、そんな低頑張りじゃありません。
パフォーマンスで、古狸議員や、名指しで党派を批判できますか?
命かけてしてらっしゃる。恐れる事を恐れていない。
貴方、澤井・真崎・和仁・この辺りの議員に一人で逆らえます?無理ですよね。
頑張ってください。
守口をよろしくお願い致します。
コメント by 匿名 — 2011年11月5日 @ 4:45 PM
服部です。
長い書き込みをありがとうございます。
ぶっちゃけ、僕のHPってほとんど誰も見ていないだろうと思っていたから、書き込みがあったことにびっくりです。
内容について、いくつか疑問点や勘違いが見られますので、お返事いたします。
まず、最初に一つ。
「パフォーマンスで他人を名指しで批判する」行為は、簡単にできますよ。
全然勇気なんていらない。
勇気って、そんなチンケなもんじゃないです。
むしろそれが、『パフォーマンスとしては最大限の効果を発揮』しますから。
僕がパフォーマンスをやりたいなら、むしろそうする。
しかし、そういう行為を指して、僕は演出と呼んでいるのです。
簡単に例をあげましょう。
あなたが映画の脚本を書いてみるとしてください。
名指しで批判されるべきわかりやすい敵がいて、それに対して戦う絶対的な正義の味方がいる物語というのは、比較的安易に書けます。
そして、非常に見栄えがいい。
逆に、ヌーヴォーロマン的な、はっきりとして対立構造が見えず、それぞれがそれぞれの真実を隠し持ち、一方通行の糾弾に進んでいかない物語は、書くことが困難です。
演出も、なかなかできません(やろうと思えば、ゴダール的諧謔に行きやすい)。
僕は、現実とは後者に近いものだと思っています。
ゆえに、単純に他人を名指しで批判できるということは、現実に物語を持ち込んでいるのであり、基本的にそれが本当に正義である確率は低い、というわけです。
だからこそ、人を裁けるのは、検事などの特別な職であり、裁判は、数十回以上の長丁場に及ぶわけですね。
あと、一応補足しておくと、いい加減な見識で対立構造演出を批判しているわけでもありません。
僕はかつて、専門的に小泉純一郎の政治手法の研究をしていました。
彼のやり方を研究していると、自然と、演出というものに気が付きやすくなります。
また、演出と政治的メッセージの関係を追及したロラン・バルトも研究していました。
対立演出に対しては、普通よりは気が付きやすい経験を持っているといえます。
また、新人議員に橋下の何がわかるという旨のご質問について。
僕が一期目の新人なら、橋下も「一期目の新人」ですよ、実は。
もしも、「年齢と経験が違う」とおっしゃるなら、「その通りです」と僕は思います。
でもその場合、年齢と経験が豊かなほうが良いということならば、あなたが批判している「古狸」こそ、年齢と経験は素晴らしく豊富だということになる(別に擁護するわけじゃないけど)。
この矛盾を、どう考えるのでしょうか。
次の疑問。
野党議員の陰で目立たないという批判について。
あのね、怒りますよ。
僕はいつも発言したくてうずうずしてるんです。
だから代表者会議中も外から声を荒げて「イエローカード寸前だよ」と忠告を受けてるんです。
僕は年上を重んじることを大切にしているから、今はじっと黙っているだけです。
刀ってのは、抜くタイミングってのがあるんですよ。
いつでも怒鳴って暴れて目立てば政治だというなら、それはとんでもない間違いで、そんなことしてたら国も自治体も崩壊します。
そんな社員が査定で評価される会社、倒産しますよ。
もっとシビアに考えてほしい。
政治家のモンスターピアレンツ化を推奨しているかのように聞こえます(事実、そういう風潮はありそうだし、世の流行に敏感な政治家は、あえて自分からモンスターピアレンツ化を演じるのかもしれない)。
さて、次です。
僕は、自分の目で見たもの以外はあまり信用しないことにしていますから、守口市の過去については、それをこの目で見たわけではない以上、真実をどれだと断定できる資格を持ちません。
逆を言えば、僕は、与党が言うことも、野党が言うことも、鵜呑みにはしない姿勢でいたいとおもっています。
ただし、判断材料として、「与党議員3名とも、大日問題が勃発した時に、議員ではなかった」ということがあります。
ということは、彼らも、誰かから情報を得る形でしか、過去の経過を知ることはできません。
逆を言えば、野党で、過去の経過に立ち会った人間は、事実を知っている可能性は高まりますが、情報の恣意性のキャスティングボードも握ることになります。
そのことは、はっきりと心に留めなくてはならない。
これらのことを踏まえると、過去を見ていない人間は、委員会における討論を判断材料にする以外ないということになる。
僕の目には、与党議員が、討論において言い負けているように感じられた。
その判断根拠は、与党議員が、委員会において反対採決をしなかったということに端的に表れています。
よって、これらの判断材料から、今の時点では賛成も致し方ない、という考え方です。
至って妥当だと思います。
逆を言えば、あなたの知っている、大日問題の過去を、しっかりと時系列に追ってここに開示してくだされば、それはそれで判断材料の新たなる一つになります。
何かあるのであれば、それを、実名の責任ある立場でリベラルに開示してくれれば、いくらでも判断材料にします。
次。
選挙票がほしけりゃ、むしろ僕は与党に行ってますよ。
いまの日本は、与党であれ野党であれ、「少数勢力のほうが応援されやすい」と言えます。
これは、判官びいきって心情です。
だから、選挙対策を僕が本気で考えるなら、「少数で頑張っている与党」に与したほうがお得なんです。
あなたが、古狸の巣という旨で批判するように、いま、野党の批判をすることは非常にやりやすい状況です。
僕だって、書こうと思えばいくらでもそれっぽいことを書くことができます。
言語スキーム的に、楽なんです。
また、与党議員の獲得票数と、野党議員の獲得票数(党などの固定票を持つ議員は今回は除外する)を個人ごとに比べると、もっとわかりやすいのではないでしょうか?
そんなに差がないか、人数が多い分、野党議員のほうが、得票数の少ない人が多い状況です。
さらには、仮に市民が、「与党か野党かを投票の判断基準にする」という状況があるとすれば、与党を応援する票を三人で取り合うのと野党を応援する票を18人で取り合うのとでは、どちらがお得かも、明白でしょう。
僕は、以上のような状況認識ですので、野党にいて集票ができるとはまったく思えません。
むしろいっつも「きっつー」と思ってますよ。
給与問題について。
これも、ちゃんとした理由があります。
それは、議会が貴族院になってしまう恐れを回避するためです。
まず、この議論の前提として、提出理由が選挙対策でないかどうかの徹底的な審査が必要になります。
というのも、議員の給与問題というのは、選挙の目玉になりやすい。
利用しようとすれば、非常に利用しやすい政策なわけです。
ということは、選挙ごとに選挙目当ての議員が、給与カットをする可能性がある。
それが続けば、最終的には議員の給料は、非常に低いものになります(たとえば15万とか)。
その時、何が起こるかを、想像してみてください。
よっぽどの金持ちか、よほどやる気がある人間かしか、議員になれない、しかも、選挙費用を考えれば、やる気があるから給料無視で出馬する人間よりも、金持ちの道楽(あるいは名誉欲)で出馬する人間のほうが勝ちやすいという状況が生まれます。
これが、議会の貴族院化です。
例えば、イギリスの議会に、貴族院のようなものがありますが、非常に欠席者が多いということで有名でした。
また、日本の過去を鑑みても、身分制度を色濃く残したような議会制があったために、リベラルな運営ができなかったということもできます。
僕が危惧するのは、要するには、既得権益を破壊するつもりの給与カットが、逆に既得権益者しか当選できない議会を生む可能性です。
ということは、給与カットには、いくつかの条件を附さねばなりません。
たとえば、「選挙対策でないことを証明する」。
たとえば、「下げる限度額を設定する」。
などなど。
こういう議論は、さまざまな行政学の場でさんざん議論されてきているはずです。
今回の提案については、そういう危険性に対する配慮が見えなかったことが、僕が反対した明確な理由です。
こういう議論まで、行きつかなかった点においても、僕は、「会話になっていない」と批判するわけです。
また、役人の人が野党を嫌っているというような旨をおっしゃいましたが、このは一つの矛盾と、一つの不確かさがあります。
まず、矛盾点。
野党の仕事は、なんですか?
行政に対するチェックです。
ということは、本来的には、「役人に嫌われてナンボ」の世界であるはずです。
もしも、野党が役人に好かれ、ずぶずぶの仲良しならば、それこそが、「なれあい行政の理想的モデル」ではないでしょうか。
役人に嫌われる野党というのは、考えようによっては、嫌われ者を演じる勇気ある立場とも言えます。
まぁ僕はある程度の話し合いがなければ情報の取得もできないだろうから、あまり対立するのはいかがなものかと思いますけどね。
次に、不確かな点。
何を根拠に、役人が野党を嫌っていると指摘しているのかという点です。
アンケートを全役人に対して、とったのなら、理解できます。
しかし、客観的事実が示されていないので、判断材料になりません。
次。
野党は反対ばかりしているという指摘は、恣意的な情報の選択が感じられます。
9月議会でいくつの審議内容がありましたか?
その中で議員提出議案はいくつですか?
行政が提出した議案はいくつですか?
可決された案件はいくつでしょうか?
数えてみてください。
また、野党をして「真崎の側」と、真崎氏を名指しにしていますが、共産党ではない保守系の僕に対してこの指摘は、正しいとは言い切れません。
なぜ、真崎氏を名指しにするのか。
ちょっと整理しますが、与党、野党というのは、二項対立概念です。
与党でも野党でもないという概念がありません。
しかし、これが落とし穴です。
与野党を、さらに詳細に分けると、与党は現在の政権を恒常的に支持する議員団です。
ということは、野党とは、現在の政権を恒常的に不支持する議員団も、現在の政権を是々非々で支持不支持する議員団も含まれる概念になります。
つまり、野党という意味合いは、与党よりも幅が広いということになります。
僕自身は、政権を恒常的に支持するという行為は、行政に対して馴れ合いになりやすいという観点から、是々非々での判断に比重を置きます。
野党の中には18名の人間がいて、それぞれがそれぞれのスタンスを持ち、特に僕と共産党では、思想的にもスタンス的にも、違う部分が多々あります。
であるのに、真崎氏の側にいるから信用できないという言説は、野党を一つの塊とみなしたうえで、その中に一人でも気に入らない人間がいると、全員が信用できないという考え方であり、疑問が感じられます。
もしも、野党が一つのイデオロギーのもとに結党された党であるならば、その言説も一理ありますが、今の守口市においては、当てはまらないでしょう。
ついでに。
若いんだから云々というのは、僕は、大嫌いな言葉です。
若さを言い訳やウリになんてしたくない。
若いってことは、経験数が少ないということです。
それは僕にとっては、デメリットです。
僕は今よりもっと若かった頃、若さで突っ走っていて、脚本家をやって、上司と対立ばかりして、ちっともいい作品が作れませんでした。
あの頃の僕は、あまりにも視野が狭かったのです。
本当にいい作品を創造したければ、「どこまでも冷徹に自分を見つめ、構造的に良い作品を構築する」しかないのだ、と、ずっと後になって知りました。
誰もジョン・コルトレーンのようにはなれません。
若さを盾に使うことだけなら、能力のある人間でも能力のない人間でもできます。
しかし、能力のない人間は、若さを盾にしたら、それで終わりです。
ただの逃げているだけの豚野郎になります。
僕は、自分が大した能力がある人間ではないと、自覚しているからこそ、若さに逃げていてはだめだと思う。
上っ面に逃げず、淡々と自分にできることを見つめるというのは、むしろ勇気がいる行為だし、そういうことができる人を尊敬します。
「若いから」なんて言葉を利用しないで済むように生きていたいといつも思うのです。
また、若いからという理由だけで応援されたり注目されたりしたって、ちっとも意味がありません(そんなもん、こっちから願いさげです)。
そういうエートスを破壊することこそが、僕の目標の一つです。
また、与党のみが絶対正義であるという価値観を感じましたが、これはいったいどういう理由によるものなのでしょうか。
いったいどういう体験を経た結果、そういった価値観が形成されたのか。
あなたは、一般市民で政治関係者ではないと述べられましたが、ではどのような情報取得の末、与党のみを絶対的価値観として認めるに至ったのか。
そこには、情報の偏りは存在しなかったでしょうか?
もしも、一方にのみ属する人間から説明を受けてそういう考え方が形成されたのだとすれば、非常に危うい考え方であるように感じられます(だからこそ僕は、双方が同じレベルの情報公開をすることを求めているのです)。
いいですか。
僕の中の常識では、絶対的正義はありませんし、正義と悪の二項対立も、この世の中にはあり得ません。
あらゆる人間や組織が、負の部分をそれぞれに抱えながら存在しています。
与党に入ればそれでオールオッケーという主張には、与党以外の存在を許さない危険さがある。
あなたは、「無所属なので注目していた」と書きましたが、無所属であるならば、与党であってはならないと僕なら思います。
無所属というのは、自由に文句を言える人間のことです。
アナーキーな性質を持っています。
アナーキーであり自由な無所属と、与党という存在はむしろ、相反すると考えるのが普通です。
先にも述べましたが、与党という存在は、恒常的に政権を支持する団体です。
ということは、ある種の色がついているということです。
一方無所属は、どの組織に対しても自由に反抗をできる存在です。
そのことにプライオリティを置くならば、野党の一人となることは自然な流れです。
何度も書きますが、野党というのは、与党よりも幅の広い概念です。
そこには、恒常的に政権を不支持の団体も、物事によって判断する団体も含まれる。
ようするに、アナーキーで自由であることを尊重するなら、自然に野党になりうります。
と、こんなところでしょうか。
まぁざっとではありますが、以上が、僕なりの、今回の議会に対するスタンスの根拠です。
僕は、無所属ですので、自分なりに考えた根拠に応じて、その時ごとのスタンスで戦っています。
僕は、自分が理論的に看破された瞬間、相手を尊敬するタイプです。
頑張ってください、とのコメント、非常にうれしかったです。
コメント by hattori — 2011年11月8日 @ 12:55 AM