最近しみじみ、ビートルズは良いと思う。
これも大人になった証拠だろう。
僕の周辺にいる音楽好きの人間の大抵が、ビートルズ派とローリングストーンズ派に分かれている。
僕自身、高校生のころは、ビートルズが嫌いで嫌いで仕方なかった。
ビートルズがあまりにも有名すぎて、ルックスもアイドルっぽすぎて、ビートルズ好きというと子供っぽいイメージがあった。
だから、背伸びする気持ちで、エヴァリーブラザーズやストーンズ、アニマルズ、ヴァニラ・ファッジ、ムーヴ、キンクス、ザ・フー、サーチャーズ、ビージーズなんかを聴いていた。
マイナーなものや不良っぽいのが格好いいと思っていたのだ。
でも、今、29歳になって、「ビートルズの音楽ってどう?」と問いかけられたら、即座に、「(黒人の初期R&Bをとりあえず置いておくと)すべてのロックの基本だね」と答える。
そして、「すごく聴きやすくて、そのうえに深みがあって、しかも最高に前衛的だよ」と答えるだろう。
そう、僕は、歳を取って、ビートルズが前衛的だと胸を張って言えるようになったのだ。
実は僕は高校生のころ、「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド」(ビートルズの後期のサイケなアルバム)に夢中になっていたので、ビートルズが本当は前衛的だということを知ってはいた。
でも、なんだかそれを認めるのが悔しいような気がして、口に出して言うことができなかった。
ビートルズが、とても「深い」音楽だと確信するまでは、結構長い時間がかかってしまった。
反戦の意義から、ジョン・レノンに夢中になった大学生時代、ジョンのソロのあの、フィル・スペクターが作り出す「ぼわぼわっとした感じ」に、ものすごい「流行に歯向かう高潔さ」を感じた。
美しいものをいったん否定した先に本当の芸術があるんだ、と教えられて、目からうろこが落ちる思いだった。
ジョンの持つ、反戦というスタイル以上に、ジョンの音楽にこそ、本当の反抗を感じた。
ジョンのソロを聴いて、そのあとに、ビートルズを聴くことで、僕は、やっとビートルズの本当のすごさを、色眼鏡なしで認めることができるようになった気もする。
ビートルズは、すごい。
ものすごく、反抗している。
ものすごく、抵抗している。
ものすごく、前衛的だ。
ぜんぜんかわいらしいお坊ちゃんたちじゃない。
※
ビートルズの良さについて考えるとき、ふと、いまの社会についても、考えてしまう。
僕がビートルズを、勝手に子供っぽいと思っていたように、ひとを、yふんいきでかってに判断してしまうことが多々ある。
この人は勇気がありそうだ。
この人は男らしそうだ。
この人は優しそうだ。
でも、そんなセリフのほとんどが、ろくに相手と深く付き合わずに、印象で決めただけにすぎない。
僕は、そんなのは嫌だ。
すごくおとなしい人が、ものすごく前衛的かもしれない。
無口な人が、いろんなことを思想しているかもしれない。
僕は、ビートルズが、ものすごく前衛的なんだって、恥じずに言おう。
そして、人の本当の魅力は、なかなかわからないんだぞって、自分に言い聞かせようと思う。