夜の12時まで議会であった。
休憩中に、市長に「対立をしているだけだと、前に進まないので、もっと対話をしてください」という想いを進言したが、想いは届いただろうか。
また、休憩中に、「議長が休憩を促している」という勘違いを、傍聴に来られておられた市民の幾人かがなさっておられたので、できるだけ丁寧に説明を試みた。
俺は、「議長は、議事進行の役割を担う人であって、暫時休憩というのは、何も常に議長の判断だけで行われるものではない。よって、暫時休憩を言い渡す役割を担う議長と、暫時休憩を求めた人物は別人であることもありうる。なので、その事実を知らずに議長だけを責める場合があるとすれば、議長はかわいそうである」という旨を伝えた。
すると、伝えられた市民の方が、おもむろに怒鳴ってきた。
意味が分からない。
親切心から状況を説明すると、怒鳴られるというのは、世の中のセオリーなのだろうか?
となれば、世の中のニュース解説者、競馬実況、野球の解説者なども、俺の見えないところで常に誰かに怒鳴られているのかもしれない。
その後も、俺に対する怒鳴り声は続いた。
俺は、単に状況をきっちりと説明しただけに過ぎないので、「ちゃんと道義のあることを言ってますよ」と返した。
勘違いをしないでほしいが、俺は、単に状況説明をし、それに対して怒鳴られ、状況説明というのは相手に対する悪意のない行為だから怒鳴られることに値しないので、反論しただけである。
説明や反論と、怒鳴るという行為とは、違う行為である。
俺は、政治に対する誇りを持っている。
今の世の中に不満があるから、議員をやっているのである。
世の中を変えたいと思うなら、ただ喧嘩をするだけではなく、状況をきっちりと説明し、現状の困難と闘っていかねばならない。
そうでなければ、口先だけになってしまうはずだ。
だから俺は、市民に対してでも、たとえ嫌われようとも、事実を説明しようとするのである。
事実の説明という行為なくして、世の中は変わらないからだ。
憎まれ役を恐れていたら、世の中は変わらないのである。
俺は、媚を売るために議員をやっているわけではないのだ。
誇りと気概を持って、世の中のおかしいことをできるだけ糾したいのだ。
アゲインストでだんぜん燃える性格なので、なんだか仕事意欲が倍増してきた。
明日からヘルメットにゲバ棒の全共闘スタイルで役所に行こうかな、などと、冗談を呟きつつ、がぜん革命のにおいが立ち込めてきたので、若松孝二の映画でも見て寝ようかと思う。
お休み。