はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年10月11日

Why Can Not We Be Friend?

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:49 AM

ここ数日の出来事あれこれ。

名古屋で働いている友人が大阪に帰ってきたので、黒人の公民権運動の話題を友人と議論しながら、難波を闊歩。

僕は学生時代、ブラックミュージックやジャズへの傾倒を通して、ある種の黒人文化が持つ『白人への訴え』を学んできた。

黒人の発する言葉が、時に暴力をはらむとしても、どちらかというと『強い融和路線(弱腰ではない融和路線)』という傾向を持っていることに、僕はずっと感心している。

マーヴィン・ゲイを思い出してくれ。

彼は「カモン・トーク・トゥ・ミー」と言った。

話し合わなけりゃわからないのだ。

彼のメッセージには、『下部から上部への突き上げ』ではなく、『同じ立場の人間たちの会話』が前提になっている。

そういう部分に、あこがれる。

それに比べ、相手の揶揄や対立構造を作り上げることに腐心するばかりの最近の日本政治(または日本の地方政治)の、なんと肝っ玉の小さいことか。

演出ばっかしてないで、話し合えよ。

友人(友人A)がやっているバンドが今度、久しぶりにデモ音源を出す。

そのジャケットにつかう写真を撮るために、梅田のライブハウスに行く(これまでの音源のジャケットも、僕が写真を撮っている)。

友人のバンドは、いつも18分ぐらいの大曲を演奏する。

おかげで、対バンがいるときは、持ち時間が20分ぐらいなら、その曲をやって終了である。

以下、僕と、一緒に行った別の友人(友人B)の会話。

僕「相変わらずいい根性してるね、一曲で終わりなんて、イかしてる」

友人B「そうかな。俺は、毎度あの曲なので、飽き飽きだがね」

僕「そうかい? 俺は、飽きられるの前提であの曲しかやらないっていう天邪鬼ぶりが、こびてばっかのいまどきの世の中に反抗していて、クールだと思うんだけど」

友人B「それは聴く耳を持たないってやつだよ。それじゃ客は喜ばないぜ」

僕「う~ん。俺はね、逆に、その反抗的な姿勢に共感する客がついてくると思うんだよ」

友人B「俺はそんなやつ、少ないと思うね」

家から自転車で3分ぐらいの位置にある、守口幼稚園の運動会に誘ってもらったので、行かせていただきました。

ブラックミュージックをもう一つ。

Warの「Why Can’t We Be Friend?(どうして仲良くできないのだ?)」という歌が最近頭の中から離れない。

ここのところ、議会が、与野党がいがみ合ってばかりで全然進まないからだろう。

対立を作り出して、それって市民のためになりますか?

話し合うことが大切なのになぁ、と、ため息が出る毎日です。

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