今日は、地元の守口小学校で行われた地区運動会に参加させていただきました。
6年間通った小学校ですので、思い入れがたくさんあります。
また、同じく地元の八雲幼稚園の運動会にも参加させていただきました。
一つ、感銘を受けたことがあって、それは、この幼稚園の校歌(園歌?)です。
通常の小学校の校歌のように硬い言葉づかいじゃなくて、とてもやわらかい言葉づかいで作られていて、しかも大変メッセージ性に富んでいるのです。
現代詩のようでした。
現代詩は、難しい言葉づかいを必ずしも必要とはしません。
僕は、難しい言葉づかいで難しいことを考えさせるよりは、明瞭な言葉で難しいことを考えさせるほうが、より高度だと思うことがあります。
さて、例の幼稚園の校歌ですが、「バッタとだって友達になろう」という部分が、人間の驕りがなくて、大変好きです。
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僕は、あまりたくさんの運動会を回っていません。
ある程度限られた地元に限定しています。
そのせいで時々、知り合いの方から、「なんでうちの地区に来なかったのだ?」と、うれしいおしかりを受けます。
実は、理由があるのです。
僕の、亡くなった祖父が、常々、「議員にはそれぞれの地域があるのだから、他人の地元を荒らすような卑怯なまねはするな」と言っていたからです。
僕は昔、その言葉を聞いて、なるほどな、と感銘を受けました。
二つ、理由があると思います。
一つは、礼儀の問題。
もう一つは、ほかの議員さんと、友好関係を保つためです。
議員の仕事というのは、民主主義にのっとって多数決をするわけですから、一人では、どれだけ市民のためになる政策でも、実行できません。
ですから、政策実行のためにも、お互いが仲良くきっちりと話し合うことが大切なわけです。
話し合わなければ、議論を深めることも、切磋琢磨して政策を研ぎ澄ませることもできません。
忌憚のない意見を交わすためにも、友好関係は保っておいたほうがいいのです。
想像してみてください。
会社役員がそれぞれいがみ合っている会社が、うまく運営されますか?
されるわけないですよね。
議会だって、同じことです。
市民のために、ちゃんと話し合わなくてはならないのです。
僕は、祖父のその意見を聞かされた時、「大人だなぁ」と感心しました。
そんなわけで、僕は、あまりたくさんの運動会は回らないのです。
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リッキー・ネルソンの懐かしい、「ガーデン・パーティー」を聴きました。
ガーデン・パ-ティに行ったけど、お呼びじゃなかった、というさびしい歌です。
この歌のサビの、「でも問題ないさ 俺はこういう経験を、学んできたから(But It’s Alright I Learn My Lesson Well)」という部分が、実に味わい深いのです。
この短い言葉には、複雑な感情が潜んでいます。
この歌の男は、お呼びじゃないパーティを悔しいと騒がない、とても物わかりがいい男なわけです。
でも、ただの情けない男ではなく、「そういうことがあるのって、わかってる」と、じぶんにいいきかせている。
いわゆる、さびしさをかみしめられる大人の男なわけです。
ただの情けない男と、人生を知ったうえで情けない男を演じられる(そういう自分を受け入れられる)のとは、同じようでいて、全然違います。
その違いを、外から見て判断することは難しい。
難しいけれど、そういう審美眼を持って、生きたいものですね。