はっとり浩之オフィシャルブログ

2010年5月7日

あのことから『遠く離れて』

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 11:09 AM

昨日は暑かった。

 熱中症か脱水症状かわからないが、車の中で眩暈がして、ふらふらになってしまった。

 一日中気分悪かった。

 ○

 日経を読んでいたら、保坂和志にそっくりの文体の記事があって、「なんだこりゃ。似てるなぁ」と思って読み進めたら、本当に保坂和志の書いた記事だった。(笑)

 一時期保坂和志にはまりまくって読みまくったんだけど、文庫で出てる小説をほぼ全部読んでしまうと、急速に熱が冷めて、もう読まなくなった。

 文体が独特で、好きだったけど、濃厚なので、二度読むのには根気が要る。

 一番好きな小説は「カンヴァセイション・ピース」(同じタイトルの、ルキノ・ヴィスコンティの映画があったね)だけど、これは長いので、二度読もうとして、二度目の途中でやめてしまった。

 「生きる歓び」っていう、日常のことをぽつぽつ語った短編を二本収録した文庫だけ、読みやすくて、二回読んだ。

 時間とか空間の押し広げ方がすごい作家だと思う。

 ○

 ルキノ・ヴィスコンティの「カンヴァセイション・ピース」は、邦題が「家族の肖像」だったかな?

 中学生の頃、僕はヴィスコンティの映画がすごく好きで、この映画のVHSが欲しかったんだけど、12000円ぐらいして、買えなかった。

大学生の頃に、DVDが出て、5000円未満ぐらいだったので、買ったんだけど、結局見ていない。

 僕の中で興味が終わってしまっていたのだろう。

 「ヴェニスに死す」や「地獄に堕ちた勇者ども」の場面場面を、今でもときどき思い出すけれど、だからって、新しく見ようとは思わない。

 数年前、「山猫」が映画館で再上映されたときは、気合を入れて見に行ったけどね。

 ○

 不思議なもので、大学生の頃は、暇さえあれば映画館に映画を見に行っていたけれど、気がついたらぴたりと見なくなった。

 考えてみると、映画好きが高じて、自分で、大学のサークルで作品を撮るようになった時期ぐらいから、映画を見るのが苦痛になってきたのだった。

 無理やり、お酒を飲んだり煙草を吸ったりして自分を昂めながら、ゴダールやタルコフスキーのDVDを見るのだけど、そういう見方って、なんだかもう純粋じゃないな、と思って、DVDも見なくなった。

 ゴダールは「ヴェトナムから遠く離れて」という映画を撮っていて(ゴダールだけじゃないけど)、このタイトルだけいろんな人に流用されて反復されるけど、その映画をちゃんと見ていない僕なんかが流用するのはおこがましいけれど、僕も、「映画から遠くはなれて」しまった。

学生時代、いろいろ見た映画の中で、面白い、面白くないは置いておいて、なぜかずっと頭にこびりついて離れないのは、ポルトガルの、マヌエル・ド・オリヴィエイラ監督の作品ばかりで、なぜなんだろうなぁ、と、不思議に思う。

 というのも、面白くなくても、感動させられた映画は多々あるけど、この人の、僕の頭にこびりついてはなれないいくつかの映画に関しては、特に感動したわけでもないからだ。

「永遠の語らい」の、船が爆破されるラストは、よくありそうといえばよくありそうで、むしろ逆に、どうしてこんなありきたりならストにしたのだろうと、映画的な濃厚さとのちぐはぐさが、頭にこびりついて離れないし、「クレーブの奥方」も、よくわからないポルトガル語のラップみたいな歌を歌う主人公の奇妙さが、頭にこびりついて離れないだけだ。

 でも、とにかく(僕がかつて映画館で見た)他のどんな監督のどんな作品を差し引いても、この二作が、『見た』ということに関して、忘れられないのだから、そこには何か作用するものがあるのだろう。

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