お盆休みを利用して、読もうと思っていた本を多数読んだ。
相変わらず大抵が、学術的な本である。
脳と認知関係の本と、情報インテリジェンス関係、政治関係、原発関係など。
山城むつみの「文学のプログラム」には、ラカン(フランスの、心理学者)がなぜ、「日本語話者には精神分析が不要だ」と言い放ったかに対するそれなりに真摯な追跡が記してあった。
大澤真幸の「Thinking O」も、数巻分読んだが、機知に富んでいる。
やはりそこにあるのは、「わかりやすすぎる現代」と「シニカルな没入を繰り返す人々」への失望である。
また、そこと関連するが、とある政治学の書物に繰り返し書かれていたのは、現在の明治の志士ブームへの強烈な疑問符である。
そんなに彼らは優れていたのか?
もちろん、そんなことはない!
それは、ただの都合のいい幻想なのだ!
どうして、幻想に安らぎを求め、現実を直視しないのか。
※
今の政治の、言いたい放題ブームにも、強烈な疑問符を感じる。
言いたい放題に、いつでも放言を繰り返すことほど、無批判で楽なことはない。
いつでも噛みつく狂犬を、サムライだと定義するなら、それは間違っている(そして今、そういう馬鹿げた時代になっている)。
本当のサムライは、平時には静かなものである。
抜くべき時にこそ、刀を抜けばいい。
昨日の、天使のハンマーの話ではないが、一番大切なのは、いざという時に刀を抜けるかどうかなのである。
いつも刀の刃を見せびらかしている英雄気取りの自称正義の使者には、ぜったいに正義などない。
そこにあるのは、単なる口先のごまかしである。
そこにあるのは、都合のいい嘘とラディカルなふりをした自己保身だけである。
私は、寡黙でいいのだ。
私は、抜くべき時に刀を抜く。