はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年8月12日

いばらの道

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 9:06 PM

なかなかへヴィーな一週間でした。(長いので、「続きを読む」をクリックして、じっくり読んでね)

私は、藤川候補を応援していたのですが、予想通りダメでした。7割がたダメだろうと思っていた上で、あえて弱いほうを助ける気持ちだったので、残念ではありますが、特にがっくりは来ていません。自分にできることは精いっぱいやりましたし。

私が、ダメなのを覚悟の上で藤川候補を応援していたのはいくつか理由があります。まず第一に、藤川さんが、僕の小学校の時の同級生のお父さんだということです。深い義理があります。

もうひとつは、維新の会の投げかける大阪都構想が、具体案を示してくれなかったからです。

私は、これまで何度か、維新の会に関係する政治家、あるいは、学者に「都構想とは、結局どういうものなのか」という疑問を投げかけてきました。その解答の中身が賛同できるものであれば、べつに反論する気もありませんでした。

しかしながら、これまで、少なくとも私の問いかけに対して、具体的な回答をくれた人物はいませんでした。

学者も、政治家も、「よくわからんのだ」というような答え、あるいは無言しか返してくれなかった。

私は、政治家の責任というものは、「なんとなくで、中身のわからないものに対して、答えを出してはならない」であると思っていますので、具体的な回答のないものに対して、安易な同意は、できない。

そんなわけで、「中身の見えないものを応援できない」という理由で藤川さんの応援を決めた経緯もあります。

しかし、それに対して、十束ひとからげに「なれ合いだ」という批判をされたことは、ひどく心外だし、真実に反していると怒りを感じました。

少なくとも、私は、自分個人の義理と、都構想という政策を理解できないという確固たる理由の上で藤川さんを応援したのであり、そこには、ほかの議員との関係がほとんど介入していないのですから、なれ合いでも何でもないでしょう。

私はむしろ、最初からダメな結果に終わると自分でわかっている人をあえて応援したのですから、勇気ある行為をしたわけです。

「楽なほうに流されないぞ」「流行にのらないぞ」という、私の性根にある昔からの保守気質というかあまのじゃくぶりが噴出してしまっただけのことです。

それにしてもまぁ、予想以上のへヴィーな、本筋と外れた出来事がありました。

二度にわたり、自転車を盗まれ(二回とも、近くのスーパー前に乗り捨てられていたのをうまく発見)、警察に一度質問を受け(「その自転車、誰のだ?」)、雨の中走っていたので風邪をひき、あせりすぎて車に乗ろうとして足を滑らせて手の甲をすりむき、そのうえに祖父の49日が重なり、祖母は49日の準備の忙しさにぼんやりとしておろしたばかりのお金を入れた封筒をホテルのロビーに置き忘れてしまい、それを探すのに時間を取られ……と僕は踏んだり蹴ったりの翻弄されぶりでした。

長い長い閉そく感が、日本を覆っています。

しかし、閉そく感を、打破する具体策が、思いつかない。

具体策が思いつかないから、今度は、抽象的な、『何か新しいもの』へと、希望を求めるのです。

これは、ある時期以降の日本が、神話的な発展を遂げたという歴史的事実の名残であるかのようにも、感じられます。

日本人はいまだに、かつての、右肩上がりにどんどん変化発展していく日本が、忘れられないのです。

そういった心理が、小泉人気~民主党人気~地方政党人気という流れを、形作っているのだと思います。

一方で私は、政治というのは、企業を発展させるのと同じだと思っています。

企業を経営・発展させるためには、徹底的な分析と、シニカルな先読みが必要不可欠であり、なんとなく新しい何かを求めていては、倒産が目に見えています。

私は、今の日本は、倒産寸前だと思ったほうがいいと思っていますので、夢見がちにならずに、シニカルに、現実的に、職人技的に踏ん張っていったほうが、絶対にいいと思っています。

残念ながら、夢見る頃は過ぎたのです。

マジックワードに助けられるような猶予は、もうないはずです。

でも、そういうのに夢を見たくなる気持ちは、痛いほどわかるのです。

私だって、小泉が出てきたころ、かっこいいと思ったし、民主党が台頭したころ、自民党より頑張りそうと思ったし、橋本徹が政治家になろうとした頃も、かっこいいじゃんと思ったのです。

今回、民主党の代表選のニュースをテレビで見ても、顔写真だけを見て「誰が頑張りそうかなー」と無責任な判断をしている自分がいるのです(投票権ないけど)。

……そんな、政治は遊びじゃないんだ、と、頭を振る自分が、そんな自分を叱咤して、私自身、とても苦しいのです。

軽く流行になんとなく身を委ねておけば、楽だ。楽しい。

でも、それは、政治家としての責任が、許さない。

そしてそれが、理解されにくい。

まるで、いばらの道の上を歩いているような気分です。

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