JC主催の公開討論会があるので、電話がかかってくる。
僕はこの討論会のスタイルに疑問を感じている。
事前に質問事項が各候補に知らされていて、それについて「個別に」答えるだけ。
それは討論会ではなく、ただの発表会であろう。
そう思うので、電話口でJCの人に「これじゃ討論会にならない。先に原稿絵を用意していいのなら、どんな人だって流暢に答えることが出来る。それどころか他人が書いた原稿を暗記しておくことだって出来る。客席からの質問と、候補者同士の討論がない限り、討論会としては成り立たない」と伝えた。
『本質は、本筋とは関係のないところにこそ萌芽する』のは、僕の持論だ。
ある人の本質を理解したいのならば、その人が作りこんだ部分を見ていても、どうしようもない。
お化粧された部分を見ていてもどうしようもない。
そう思いませんか?
ふいの予想外の質問に答えねばならない瞬間にこそ、その人の本質が現れるはずなのだ。
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何はともあれ、討論会があること自体は素晴らしい。
『手で触って、目で見て、匂いをかがなきゃ、なにもわからない』のも、僕の持論だ。
こんな、イメージ先行の世の中だからこそ、イメージに捕らわれないようにして生きて生きたい。
多くの人が、討論会を見るべきだし、You Tubeなどで流すのもいいことだろう(公平性を規すためにも、両候補の答弁を流さねばならない)。
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ラジオから、CSN(クロスビー・スティルス・ナッシュ。70年代のバンド)が流れている。
ざらっとした、プログレッシヴなカントリーバンドと言って良いようなサウンドに、胸が熱くなる。
学生時代は、CSNに夢中になったものだ。
でも、時は流れて、『男は黙って』的な、『利益なんか欲しくないぜ』的な、『繊細だからこそのハードボイルド』的な、そういった世界観を、世の中がどんどん忘れて去っていく。
寂しくなってきた。