はっとり浩之オフィシャルブログ

2010年5月3日

懐かしの街角(あの娘はどこへ行った?)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 1:06 AM

さっきコンビニに寄ったら、シカゴの『サタディ・イン・ザ・パーク』が流れていて、思わず「おぉ、懐かしい」と声に出してつぶやいてしまった。
別に古い曲だからという意味ではなく、10年一昔というように、僕にとって、ちょうど10年前に真剣に聴きこんだ記憶のある曲だから、『本当に実感として懐かし』かったのだ。
10年前、僕は高校生だった。
シカゴの『長い夜』や『サタディ・イン・ザ・パーク』が、ひどく難解な、深遠なことを歌っているような気がして、「これはなんだかわからないが、すごいことを歌っているぞ」と思って、必死になって聴いていたのだ。
今、英語や、時代背景に対する知識が深まって、よくよく考えれば、そうたいした内容でもなくって、「良いねぇ。ただし、内容じゃなくて、純粋に音楽としてね」と思うんだけど、高校生の頃は、本当に、シカゴの初期の曲を聴いていたら、何かがわかるような気がしていた。
あぁいう感覚って、10代独特だと思う。

余談だけど、シカゴって、前期と後期ではほとんど別物で、ディヴィッド・フォスターが主導している時期は、僕は、良いのか悪いのかよくわからないんだけど、後期でも、ビル・チャップマンが歌っている時期は、わりと好きだ。
この人は、良い仕事をしているんだけど、なんだか目立たない人で、古くはサンズ・オブ・チャップマン(サンズ・オブ・パイオニアじゃないよ)で歌っていた人だ。
実はEW&Fの『アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン』の共作者でもある。
そういった、わりと重要な立ち位置の人なんだけど、なんだか、目立たない。
どうにも、突飛なことをする人が目立って、地味にちょくちょく良い仕事をする人は、目立たないような気がする。
僕は、理念主義の人には疑問的で、「本当にそんな理念、実行できるのかい? 事実って、フレキシブルじゃないのかい?」と思っている。
どうにも、世の中では、「口でいろいろ『やる』という人が評価される」傾向がある。
むしろ、そういう口約束に対して、その人が、本当に実行したのか、その結果どうなったのかを追跡することのほうが、重要なんだけどね。
ま、いいや、とにかく、ビル・チャップマンってのは、僕は結構好きなんだな。
ボズ・スキャッグスなんて、結構影響受けてるんじゃないの?と思う。

晩御飯を、よく行く店で食べていたら、サザンが二曲続けて流れていて(というか、この店は、サザンしか流さないんだけど)、それが、2000年代の曲と、80年代の曲だった。
連続して流されると、違いがよくわかる。
2000年代のほうが、音が詰まっていてフラットで、80年代は、声にエコーがかかっていて、変なんだけど、音に広さがあって、リズムがずいぶんとわかり易い。
リズムに歌が従属しているともいえる。
コーネリアスが、去年出したDVDに伴ってインタビューで、「俺たちニューウェーヴ世代は、リズムにうるせぇからさぁ」みたいなことを言っていたんだけど、なるほど、たしかに、80年代ってのは、多彩なリズムの世代というか、リズム主導の時代のような気はする。
2000年代の、フラットで、音が詰まった音楽は、ある意味では息苦しくて、こちらも、この10年ほどの息苦しさを、見事に表しているような気がする。
ある作品が、時代を凝縮すると語ったのは、ミシェル・フーコー(フランスの学者)だったかしらん。
けだし、その通りかもしれませんね。
また、2000年代は、言説としては、新自由主義が、大きな場所から語られたわけだけど、それが実は、個人の自由に関しては、どちらかといえば、締め付けの方向に向かっていったように、今見れば思えるのは、ねじれていて、面白い現象だと思う。

あ、タイトルは、深い意味はありません。

オールディーズっぽいでしょう?(笑)

もう一つ余談。

今、マヒナスターズのハワイアン集を聴いています。

いいねぇ。

英語は下手だけど、良いねぇ。

『マナクーラの月』が収録されているのが良い。

ドロシー・ラムーアって、僕、好きなんだ。

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