夜、テレビ欄を見ていたら、「彼女について知っている、2,3の事柄」というタイトルが目に付く。
「ゴダール?」と思うと、「神様のメモ帳」というアニメである(タイトルに「神様の」とつくと安易に感じるのはボクだけだろうか)。
原作が杉井光というので、何となく納得する。
以前、「ジョン・ケージからの引用があるラノベ」というので読んでみたら、そうたいしたものではなかった。
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〇〇について知っている、2、3の事柄という名訳を考えたのは、いったい誰だろう。
ゴダールのカリスマ性と同じぐらい、このタイトルのつけ方が上手い。
この手の上手さでは、菅野ヘッケルがtangled up in blueを「ブルーにこんがらがって」となづけたり、simple twist of fateを「運命のひとひねり」となづけたりしたのを思い出す。
さいきんは、こういう、見事な邦訳というのが、あまり目に付かない。
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ジャン・リュック・ゴダールというのは、知らない人はいないと思うのだが、フランスの映画監督である(自身はスウェーデン国籍だったような気がするが)。
ヌーヴェルヴァーグ(1950~60年代のある種の映画運動。意味は、「新しい波」。あの時代の「若者運動」のひとつともいえる)を引っ張った人、という以上の魅力を持っている。
多感な時期に、彼の作品は、絶対に、少年の心を感化させるだろう。
僕自身、学生時代に撮った二本の映画のうちのひとつ「あの連鎖」は、強烈なゴダールイズムにあった。
ストーリーからの軽やかな逸脱、無意味なジャーゴンの羅列、猥雑な高潔さによって、ゴダールは、若者の心を刺激し続けるはずだし、そういう意味では、今旬なメディアであるアニメが、ゴダールへのオマージュ(?)を示したことは、いいことである。
ゴダールの作品が持つ、「大きな物語をあざ笑うセンス」というのは、今の時代に絶対に必要で、かつ、今、欠けてしまっているセンスだからだ。
単純な美辞麗句、作られた大きな物語に飲み込まれないためにも、ぜひ、難解な言葉をあざ笑い、組み込むゴダール、物語から逃げ出すゴダールを見てほしい。
資本主義と社会主義の枠組みの虚構さを物語にしてしまった「新ドイツ零年」なんて、好きだ。
それを入り口に、トリュフォーを、フェリーニを、アントニオーニを、ヴィコンティを、タルコフスキーを、見ようとする若者が増えてくれたら、うれしい。(んなことにゃー、ならねぇだろうけど!)