祖父の村野泰夫が死んだ。
6ヶ月前からもう、いつ死んでもおかしくないような状況だったので、「その時が来たのか……」という気分である。
正直、思うところはいっぱいある。
何よりもまず、ひとつ、思うのは、悲しかったろう、つらかったろうということだ。
政治という、シニカルに評せばだましだまされの世界で何十年も生きてきて、心が休まる日があったろうか?
時には裏切られ、血まみれになり、悲しみすら吐露できない。
そういう体験を、してきた人だ。
引退して、たったの4年で死んだ。
何か、楽しむ時間など、なかったように感じる。
それどころか、そばで見ていた僕の感じる限りでは、政治家をやめ、引退すると、それまで信用していた人物が急に離れていくということすらあった。
つらかったろう。
悔しかったろう。
気が狂うほど、苦しかったろう。
僕は、そう思う。
僕自身、つらかった。
憎いというよりは、悲しかったな。
情けない思いをしている祖父を見るのが、悲しかったんだ。
祖父の悔しさが、落ち込みが、伝わってきて、それで胸が痛かった。
もっとも、その悲しみが、僕の、駆動力になっていたわけだが、しかし、それでも、僕だって、つらかったよ。
他人にあれこれ言われることがじゃないんだ。
祖父が倒れても、そんなこと、誰にも言うことも出来ない。
僕は、無所属で、ほんとうにまったく何の組織も無しにやっていたのだから、祖父が倒れたら、どういう攻撃を受けるか、わかったもんじゃない。
祖父の病状が心配で心配で気が狂いそうでも、他人には「いやぁ、たいした病状じゃないっすよ、ハハハ」を繰り返してきた。
つらかった。
本当に、つらかった。
それ以上につらいのは、祖父の意識がはっきりとしていたのは3月ごろまでで、祖父が楽しみに待っていた4月の選挙結果の報告が、たぶんもう、理解できていなかっただろうなぁ、ということである。
……つらいなぁ。
※
もう、政治なんていうある意味では心休まらない世界のことは忘れて、天国ではゆっくりぼんやりと、何も気にせず過ごしてくれよ、じぃさん。
※
その代わりに俺が、あんたが言ったことを、教えてくれたことを、ちゃんと、覚えているからね。
忘れられないよ。
「卑怯な真似はするな!」
「他人を陥れるな!」
「男の矜持を護れ!」
祖父は基本的に、仁義を重んじる人だった。
※
追伸。
葬儀場の入り口で、入ってきてくれる人々に「わざわざお時間をとって頂いてありがとうございます」と挨拶をしていたら、一人から、「ホントそうやで、忙しいのに!」と言われた。
……。
…………。
そう思っても、口にするセリフなの、それ。
と思った。-
でも、考えてみれば、そうやってきてくれるだけでも、ありがたいことである。
すぐに感謝の気持ちに切り替わった。
本当にありがとう。
怒りは、何も生まないのだ。
僕はもう、怒っていない。
世の中、人を憎んだって、どうなるわけでもないんだ。
今のあの、与野党の国会でのやりあいの醜さを考えてもみろ。
争いで、争い以外が見えなくなってしまっている。
そんな状態に突入しちゃダメなんだ。
心穏やかに許しあう。
それが一番いいんだ。