はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年6月14日

つ・き・あ・い・た・い

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 9:22 AM

雑記。

友人がやってきて、

「俺はRCの『つ・き・あ・い・た・い』に人生を教えられた」

と言う。

「どういうふうに?」

「ほら、あの歌ってさ、『誰かが後ろで操ろうとしてると、俺はときどき手を抜く』って部分あるじゃん。あれってさ、すっげーいい言葉だと思って」

「へぇ~」

また別の友人が、梅田Hardrainでライブをやるので、見に行く。

人間、助け合いである。

僕は困っているとき、いつもこの友人に助けてもらう。

代わりに、僕のほうも、出来るだけライブは聴きにいく。

Hardrainは、名前どおり、店内にボブ・ディランの「激しい雨」のジャケットがかけてあった。

underground raindog 梅田hardrainって看板に書いてあったけど、トム・ウェイツのRaimndogsは見当たらなかったな。

Hardrain A Gona Fallの歌詞は、今でも頭にこびりついている。

20代のはじめの頃、この歌をよく聴いたものだ。

「俺の青い瞳の息子をどこで見かけたんだ?」とか「俺に虹をくれた女の子」とか、ディランらしいへんな言葉がいっぱい出てくる。

梅田のMaruzenジュンク堂に行って、ビートジェネレーション読本を見つけたので、買う。

ビート族(1950年代ごろに流行った、文学・文化の一つ。ここでいうビートは、『打ちのめされた』の意味)ってのには、昔から憧れがある。

ジャズ歌手のマーク・マーフィーが、昔、ケルアックをリーディングするってのをやってて、僕はしびれたもんだ。

大学の先輩がたに、 日帰り旅行に誘ってもらって、参加させていただきました。

すごく楽しかった!

とある会合で、年上の方に「漫画どんなの読む?」と言われて、

「つげ義春」と答えると、

「しらんなー」といわれる。

また別の会合の後の雑談でも、

「漫画好きなのある?」と訊かれる(別の人に)。

「つげ義春」と答えると、

「誰、それ」といわれる。

なぜか誰もつげ義春を知らない。

なぜだろう。

僕は、「漫画家」と言われるととりあえずつげ義春が思い浮かぶ。

その次に諸星大二郎が思い浮かぶ。

その次に手塚治が思い浮かぶ。

それ以外の人は、ずっと記憶が薄らいでしまう。

学生時代、つげ義春にはまりすぎて、もうあんまりにも夢中になって、つげ義春を全部読んでしまったら、それ以上何か漫画を読むという気持ちが消えてしまった。

だから僕は、漫画を詠まなくなってしまった。

つげ義春の、旅ものが、すごく好きだ。

精神病院から逃げ出した男と田舎で遭遇する話や、妻が宗教にはまってしまって別居になったおっちゃんの話、日本酒を薄められる話、網走番外地が聴こえてキャバレーから逃げ出す話、猫の肉急をまぶたに乗せる話……。

どれもこれも、冴えなくて、悲喜こもごもで、さびしくて、やりきれなくて、へたっていて、折れ曲がっていて、優しくて、最高である。

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