はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年6月6日

もうちょっと詳しく(今でも社会はややソリッドだ)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 9:20 PM

前回書いたことについて、もうちょっと詳しく書こうと思う。

僕が、「若いうちは良い事も悪いことも含めて、いろいろやってみなきゃだめだぜ」と思うのは、過ちが修正されやすいのは若いうちだからだ。

若いうち、子供の頃に、社会のおきてについては、わからないことがたくさんある。

それは、当たり前だ。

規律や掟は、結局のところ、後天性の物事である。

国が違えば、社会規律がまったく違うという事実が指し示すように、規律やおきてを、先天的に知ることは基本的にはむつかしい。

それは、覚えていくしかない。

その「覚えるという行為が許される期間」が、青春期であろう。

しかし人間は、失敗を通さないと、理解できない側面がある。

もしも若い頃に、「これをやってもいいのだろうか?いけないのだろうか?」と悩んだとき「怒られそうだからやめておこう」と竦んでしまうとする。

すると、その人は、結局のところその行為がやって良い事だったのか悪いことだったのか、その真相を「経験的に」知ることが出来ないままに大人になってしまう。

なぜなら、彼は、問題をスルーしたために過ちを起こさなかっただけだから。

ゲーム理論的な話になってしまうが、彼は、内角高めに投げられた球をボールしたバッターでもあるかも知れない。

彼は、『その球を打とうとする感触』を覚える機会を逸してしまったのだ。

若い頃に、もしも無意識に過ちを起こしてしまったとしても、それを叱ってくれる人々は、いるはずだ。

大人になればなるほど、人は叱ってもらえにくくになる。

若い頃に、叱られることを恐れて、何もせずに育ったら、大人になっても、本当の意味では何が良いことで悪いことなのかの区別がつかないままになってしまうのではないだろうか?

僕は、そういう大人が増えることが、とても心配だ。

だから、わかりきっている話だが、僕の話す「悪いこと」とは、何も犯罪ではない。

犯罪レベルのことは、しちゃ駄目だ。

社会に規範の中で、薄明かりにある、判断の難しい部分の行為のことである。

「やって良いか、悪いか、微妙だ」と思うなら、若いなら、やってみても良い。

それがもしも、あなたが良いと思っても、悪いことだったら、きっと、厳しく叱ってもらえる。

そうやって、叱られて、覚えていくのが、大人になることなんだ、と、僕は言いたいのだ。

そういう、「学び」のある社会のほうが、結果的には重大な犯罪が少なくなると、僕は思うのだ。

判断力のある大人が増える、と思うのだ。

僕が、今の社会に感じるのは、妙な視界の狭さだ。

いったいどうしてこうなってしまったのか知らないが、今の社会は、多様性を許す懐の深さが非常に少なくなっている。

一見自由なように見えて、厳しく統制されて、右向け右、左向け左の社会である。

僕は学生時代、「右寄り」の本も、「左寄り」の本もたくさん読んだ。

でも、そういうのを見かけるごとに、世の中の人々は、僕を罵倒したものだった。

僕は江藤淳を読んでいると左寄りの友人に罵倒され、大江健三郎を読んでいると右寄りの友人に罵倒された。

そのたびごとに、うんざりしたものだった。

どうしてこんなにも、この人たちは視野が狭いのか、と。

僕の友人に関して言えば、右の批判をする人は、右の書籍を読まないし、左の批判をする人は、左の書籍を読まなかった。

それぞれの拠って立つ根拠を強化することに必死で、敵の研究はしない、という風情だった。

その思い出を踏まえても、僕は、若い人には、「これはこうなんだ」という固定観念を持ってほしくないのだ。

何でもやってみなくちゃ、経験不足になってしまう。

批判したい敵を愛してから批判せよ!

そう言いたいのである。

その思いの集約が「恐れずになんでもやってみろ!」なのだ。

世間になんか、批判されるな、自分の基準を自分で探せ。

そう言いたいのだ。

ちょっと前の「ユリイカ」に、現代の社会はソリッドでなくなったと、書いてあった。

僕は、そうは思わない。

政治の表向きは、とても流動的になったけど、今でも世の中は、いいや、いまやある意味では以前よりも、息苦しいほどにソリッドだ。

(と思うから、今夜は、ソリッド・ステイト・サヴァイヴァーを聞きたくなったのだけど、CDが見つからないのだ)

追記ちゃん。

実は今日、お昼に、昼食を取りに出たはいいものの、お金がなくて、銀行でとりあえず1000円おろして、銀行を出ました(1000円のメシ食ったわけじゃねーぞ)。

そのとき、人にぶつかりそうになって「あ、すんまへん」って言ったんですね。

そしたら、「あれ、服部くんやン」と言われました(ぶつかりそうになった方とは別の方向から)。

「え?」と思って振り返ると近所の方でした。

「声でわかったよ」と。

うれしぃなー。

放送部に長い間いた僕の声。

声で覚えてもらえるって、本当にうれしいなぁ!

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