昨日は金田町でPCBについての演説をしました。
今度は10名ほどの方々に聞いていただきました。
アットホームな感じでした。
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前回の日記で、ディランの「風に吹かれて」を虚無的だと書いたのですが、ちょっと考え方を変えました。
風に吹かれる=風に左右されるということは、世の中の流れ次第ということ。
戦争や政争は、世の中の流行しだい……。
そんな読み方もまた、ひとつの真理をついているように思えるのであります。
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SF小説が妙に読みたくなって、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」をちまちまと読んでいます。
WWⅡで、もしも枢軸国が勝っていたら……という前提のもとに書かれたこの小説、以前から読みたかったのですね。
「ニューロマンサー」も読みたいし、「ブレードランナー」も見たい。
なんなんでしょうなぁ、この妙なSF熱は。
僕はSFといえばゴダールの「アルファヴィル」やタルコフスキーの「ストーカー」「惑星ソラリス」、あるいはトマス・ピンチョンのいくつかの小説を思い浮かべるような人間で、一般的な超有名作をスルーしてしまっているんですね。
どうにも、昔からそういう性格のようで、ジャズがすごく好きで、タル・ファーロウやジミー・ロウルズのアルバムまで持っているのに、コルトレーンやマイルスは聴かない……というような青春を送ってまいりました。
逆にこれから王道を攻めるのもいいんじゃないかなぁ、と、最近思っているわけ。
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先日の春一番コンサートで、友部正人の「ロックンロール」を生で聴いて以来、そのメロディーと詩が頭にこびりついて離れません。
僕はこの静かな歌のタイトルがどうして「ロックンロール」なのか、これまで気がつきませんでした。
「表面上静かなことが、本当のロックンロールなんだろうなぁ」となんとなく思っていただけでした。
でもよく歌詞を聴くと、「ジョン・レノンが1975年に作ったアルバムには ジョンの歌はひとつも入っていなかったけれど そこにはジョンの過去が刻まれている」とあるんですね。
僕は、「あ、そうか!」と思いました。
ジョン・レノンが1975年に作ったアルバムのタイトルが、まさに「ロックンロール」なんですね。
この作品は、ジョンが小野洋子さんとの別居生活を経験して「心の壁 愛の橋」を製作した後に発表された作品で、ジョンが昔よく聴いたオールドロックヒッツをカヴァーした作品なんですね。
プロデューサーのフィル・スペクターが製作中にトチ狂っちゃって発砲したりテープを持ち逃げしたりと、いかにもジョン・レノンらしい受難なエピソードを従えた作品でもあるはずなのですが、なんというか、ノスタルジーを狂気で包んじゃったような不思議な味わいがある作品。
友部は、この作品からタイトルを持ってきたのかもしれませんね。
ちなみに、ジョン・レノンの「ロックンロール」には、ハンブルグ時代(ビートルズデビュー直前)のレノンの写真が使われています。
とても味のある、素敵な写真です。
友部正人は、僕は、日本人の歌手では一番好きな部類の人ですが、もうひとつ、最近どうにもこの人の歌で忘れがたい作品があります。
それは、「遠来」。
こちらも、とても静かな歌ですが、ニューヨーク・東京・台湾のそれぞれの国で、アパート暮らしをしているさえない人々のことを順番に歌った歌で、なんともいえない、地に足のついた広がりがある歌です。
世の中、何でもそうで、はじめは「あれ、地味だな」と思ったものほど、だんだんと体に馴染んでくるのですね。