すでにご存知の方もいらっしゃるだろうが、クリーンセンターの横の倉庫に、PCB廃棄物の保管がなされる可能性がある。
地域住民の方からその話を聞いて以来、文献を読み、自転車で倉庫の写真をとりに行き、関係者と意見交換を行ってきた。
私は、この地区へのPCBの保管には、断固反対の思想である。
先日は、後援会の方々70名あまりに対して、設置反対意見を促す演説を行った。
何でもかんでも、錦地区に押し付けたらいいのか?
そんな無責任はまかりとおらないと思う。
みんなで積極的に意見交換をしたほうが良い案件だと思う。
この、僕にとって非常に関心のあるPCB問題が、今日、議会で話題に上った。
守口市議会としては、設置に反対の方向性でまとまった。
僕は、出来る限りの運動を展開したい。
そして、この運動が広がっていくことを願う。
でなければ、たとえば保管がずさんだった場合、健康被害が起こりかねない。
あるいは、「守口のある地区には危険物が保存されているのか、じゃぁ、住むのをやめておこう」という風評被害だって、起こりかねない。
これからの守口のためにも、錦地区を不毛の地にしないためにも、僕はいろいろなことをしたい。
※
余談になるが、例の演説会では、『演説の後でみんなでボブ・ディランの「風に吹かれて」を唄う』というイベントをやってみた。
なぜなら、この「風に吹かれて」という歌がとても政治的なメッセージをはらんだ歌であり、僕自身、学生時代に、60年代の政治的なメッセージを多分に含んだ歌に感化される形で、政治に対する興味を深めていったからだ。
歌には、たかが歌と侮れない伝達力がある、と僕は信じているのだ。
もっと強烈なメッセージをはらんだ歌は、たくさんあるけれども、その虚無的な態度において、「風に吹かれて」は、リアルである。
いくつミサイルが飛んでも、どれだけ人が死んでも、どれだけ人が飢えても、なにも終わらない。
ただ答えは風に吹かれている。
そんな、突き放した悲しい瞳が、この歌の魅力である。