保坂和志のエッセイを読んでいたら、とても納得させられる文章にぶち当たった。
「『否定』は、言葉だけが出来る。言葉を持たない生物の世界は、基本的に『肯定』しか存在できない」
なるほど。
「いやだ」という言葉を私たちは、とても簡単に発する。
あまりにも簡単に発声できるので、『否定という存在を表出すること』の困難さを私たちは、忘れてしまっている。
言葉を持たない牛が、豚が、『否定』を表出できるだろうか?
ジェスチャー以外で?
動物の世界は、基本的に、世界を肯定する=耐える・受け流す・逃げる、という、非常に困難なものなのかもしれない。
人間よりもずっと。
言葉を持っている私たちは、良かった。
田村隆一のごとく、言葉の苦みと格闘しているとしても。
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春一番コンサートに行ってきた。
友部正人目当てで朝10時から服部緑地野音に。
田川律が匕首マッキ-を唄ったのが楽しかった。
匕首マッキーってのは、マック・ザ・ナイフの邦題。
もともとはクルト・ワイルの曲ですね。
「3文オペラ」の劇中曲です(開高健の小説に、これをもじったタイトルの「日本3文オペラ」ってのがありましたっけね)。
そのあと、中川イサトが出て、ちょっとしたブルースをやりました。
もともとは5つの赤い風船にいた人ですが、もうすっかりおじいさんですねぇ。
僕は偶然この日、「律とイサト」を持っていたのですが、唄い終わった後、ふらっと中川イサトが客席に出てきて知り合いとしゃべったんですね。
僕は大慌てで友人にペンを借りて、サインをもらってきました。
ちゃんと「2011 5 3 春一番コンサートにて」と書いてくれました。
アルバムを見て、「懐かしいな」とつぶやき、握手もしてくれました。
ちなみにこの間、サニーディ・サーヴィスがステージで歌っていました。
曽我部慶一って、なんか、秋葉原か日本橋を徘徊していても違和感なさそうなルックスですね。
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思わぬ収穫が、中川五郎でした。
4人編成、本人はバンジョーを抱え、アコーディオンを弾く女性を従えての登場。
「主婦のブルース」を、闘争時代~ヒッピーに置き換えて歌って、これ一発でもう、すっかり僕はメロメロにされました。
もともとの「主婦のブルース」は、戦時中に結婚をした母の悲喜こもごもを歌う歌ですが、今回は時代背景を代えて、ヒッピー男に夢中になった女の歌でした。
そのあとは、バンジョーをエレキに持ちかえて、「ライク・ア・ローリングストーン(転がる石の如く)」を例の字余りの日本語で唄っていて、これも激アツ!
最後は、エレキを壊さんばかりのパフォーマンス。
歳を取ったのに、すげぇなぁ。
「うひゃー、サイコーッ!」って思っていたら、「ちょっと、あと一曲だけ! 二分で終わりますから!」
と、「銭があればね」を唐突に唄いだしたのでびっくりした。
この歌、もともとは、「東京は いいところさ 眺めるには 申し分なしさ 銭があればね」と、
東京を皮肉たっぷりに唄う作品なのですが、今回はたとえば、その部分は
「東京は いいところさ 引っ越すには 申し分なしさ 放射線がなけりゃね」
に変わっていて、ほかの部分も含め歌全体が、福島原発事故に対する政府の対応を皮肉った内容になっていました。
鋭くて、アジっていて、ぐっと胸に響いた。
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友部はトリでした。
キソベルのコート(途中で脱いだときにタグが見えた)を羽織って登場して、朗読から始めました。
今回の春一番のために歌を書いたが、曲が間に合わなかったらしい。
そのあとは、福島原発事故に関する歌。
事故の日、友部はニューヨークにいて、その知らせをすぐに知ることが出来なかった。
ニューヨークにいるということは、日本にいないことだ、人は偏在できない、ということを歌った歌だった。
この歌の後は、東京ローカルホンクと一緒に「僕は君を探しにきたんだ」と「ダンスホール」。
最後にアンコールで、アンプラグドで「ロックンロール」を唄いました。
ジョン・レノンはとっくに死んだけど、ジョン・レノンのことがチラッと出てくるこの歌、なぜか、2011年に聴いても、なにもおかしさを感じないどころか、不思議なフィット感すら感じる。
僕は、思わず立ち上がり、ステージ最前列に駆けつけて聴いていました。
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そのあとは、友人二人と、駅前の安い中華料理屋で夕食を食べて帰りました。
僕は天津飯を注文してしまったけれど、友人が注文した淡坦々麺が、一口もらったら、すごくおいしかった。
そっちにすりゃ良かった。