はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年4月30日

政治は対話だ!

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:50 AM

無理をしすぎて、体がへとへと、声もかれて、ぶっ倒れておりました。

ようやく回復して、出来たばかりの八島のマクドで昼食。

奥まっている(庭?駐車場?が広い)ので、国道が遠く見える。

休日なので、ポップな格好をした子供たちが店内にあふれかえっている。

ここはどこなのだろう?と、眩暈を覚えた。

ディビッド・リンチの世界に迷い込んだような……。

そんなわけはないのだが。

昔、MIXIで、僕の友人のO君が、すごく格好いい事を書いていた。

郵便配達夫をしている彼は、配達中、子供たちを見るたびに、反戦の想いを熱くするという。

未来の子供たちに涙を流させたくない、そんな国にしたくない、と思うという。

この言葉、政治家が語ったら、なんだか白々しい人気取りの嘘になっちまいそうな世の中だが、O君は、政治家ではない。

本気でそういうことを書いている。

僕は、時々、そのことを思い出す。

そんな彼が、僕に教えてくれたのが、ジョン・レノンの音楽だ。

少年時代、僕は、ジョン・レノンよりも、ボブ・ディランのほうが好きだった。

けれども、歳を取るごとに、ジョン・レノンを信じたくなってくる。

とても「飄々と出来ない」格好悪いレノンのほうが、「飄々と出来る」格好いいディランよりも、好ましく思えてくる。

今朝も、ジョンの最初のアルバム、「ジョンの魂」を聴いていた。

どこを切り取っても、100パーセントのロックンロール、混じりけ無しだ。

ジョンの、弱弱しい音楽を弱弱しいと思うのか、それとも、本当のロックンロールだと思うのか、で、聞き手の耳がわかる。

ジョンの、あの、ざらついたロックンロール。

どんなに弱弱しい小さな音にすら、こめられた、反体制のざわめき。

本当のロック精神は、派手さとはぜんぜん違うんだぜ。

僕はいつだって、そのことを、声に出して伝えたいと思っている。

ロックは、政治だったんだ。

カルチャーだったんだ。

言葉だったんだ。

それがどこか遠くで、泣いているのが今なんだ。

僕はいつだって、「Come On! Talk To Me!」と人に問いかけている。

いいや、涙ながらに訴えている。

現代社会の病巣は、「話し合えないこと」だと、僕は確信している。

マーヴィン・ゲイをみんなでもう一度、聴かなくちゃならない。

冗談じゃない、本当だぜ。

黒人の音楽は、「説得」と「対話」なんだ。

心の垣根を取り払って、語り合って、前に進むことを基本事項にしているんだ。

それはきっと、黒人たちが、その歴史の中で、苦労してきたからだろう。

今こそ、日本人も、対話の大切さを思い出さなきゃならない。

今の社会は、何かわからないことがあっても、訊けない、噂ばかりが跋扈する、いがみ合っても腹の内を明かさない、そんな社会だ。

そこをまず、変えていかなきゃならない。

「来なよ、どうしたんだよ、話してみなよ」

その心が大切なんだ。

僕が、街頭に立っていたら、唐突に理由のない罵声を浴びせられることがある。

そんな時僕はいつも「どういう理由でそう言うのか。何か理由があるのか?理由があるなら、聞きたい。聞くから、家に来てくれ。一緒に行こう」と言う。

これは、嫌味でもなんでもないのだ。

僕は本当に、対話がしたいのだ。

けれども、必ず、罵声を浴びせる人は、その理由もなにも教えてはくれず、そのまま去っていく。

僕は、そのことが、ひどく悲しい。

あぁ、日本社会は、こんなにも、病んでしまったのか、と思う。

いいかい?

会話をしなきゃ、はじまらないんだ。

闇があるから、おかしなことになるんだ。

おいでよ。

みんなで会話をしよう。

きっと、分かり合える。

分かり合えるさ。

対話、対話だ。

もっと、みんなで話そう。

そして、いろいろな謎を、意味の無いいがみ合いを。

消し去っていこう!

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