無理をしすぎて、体がへとへと、声もかれて、ぶっ倒れておりました。
ようやく回復して、出来たばかりの八島のマクドで昼食。
奥まっている(庭?駐車場?が広い)ので、国道が遠く見える。
休日なので、ポップな格好をした子供たちが店内にあふれかえっている。
ここはどこなのだろう?と、眩暈を覚えた。
ディビッド・リンチの世界に迷い込んだような……。
そんなわけはないのだが。
※
昔、MIXIで、僕の友人のO君が、すごく格好いい事を書いていた。
郵便配達夫をしている彼は、配達中、子供たちを見るたびに、反戦の想いを熱くするという。
未来の子供たちに涙を流させたくない、そんな国にしたくない、と思うという。
この言葉、政治家が語ったら、なんだか白々しい人気取りの嘘になっちまいそうな世の中だが、O君は、政治家ではない。
本気でそういうことを書いている。
僕は、時々、そのことを思い出す。
※
そんな彼が、僕に教えてくれたのが、ジョン・レノンの音楽だ。
少年時代、僕は、ジョン・レノンよりも、ボブ・ディランのほうが好きだった。
けれども、歳を取るごとに、ジョン・レノンを信じたくなってくる。
とても「飄々と出来ない」格好悪いレノンのほうが、「飄々と出来る」格好いいディランよりも、好ましく思えてくる。
今朝も、ジョンの最初のアルバム、「ジョンの魂」を聴いていた。
どこを切り取っても、100パーセントのロックンロール、混じりけ無しだ。
ジョンの、弱弱しい音楽を弱弱しいと思うのか、それとも、本当のロックンロールだと思うのか、で、聞き手の耳がわかる。
ジョンの、あの、ざらついたロックンロール。
どんなに弱弱しい小さな音にすら、こめられた、反体制のざわめき。
本当のロック精神は、派手さとはぜんぜん違うんだぜ。
僕はいつだって、そのことを、声に出して伝えたいと思っている。
※
ロックは、政治だったんだ。
カルチャーだったんだ。
言葉だったんだ。
それがどこか遠くで、泣いているのが今なんだ。
※
僕はいつだって、「Come On! Talk To Me!」と人に問いかけている。
いいや、涙ながらに訴えている。
現代社会の病巣は、「話し合えないこと」だと、僕は確信している。
マーヴィン・ゲイをみんなでもう一度、聴かなくちゃならない。
冗談じゃない、本当だぜ。
黒人の音楽は、「説得」と「対話」なんだ。
心の垣根を取り払って、語り合って、前に進むことを基本事項にしているんだ。
それはきっと、黒人たちが、その歴史の中で、苦労してきたからだろう。
今こそ、日本人も、対話の大切さを思い出さなきゃならない。
今の社会は、何かわからないことがあっても、訊けない、噂ばかりが跋扈する、いがみ合っても腹の内を明かさない、そんな社会だ。
そこをまず、変えていかなきゃならない。
「来なよ、どうしたんだよ、話してみなよ」
その心が大切なんだ。
僕が、街頭に立っていたら、唐突に理由のない罵声を浴びせられることがある。
そんな時僕はいつも「どういう理由でそう言うのか。何か理由があるのか?理由があるなら、聞きたい。聞くから、家に来てくれ。一緒に行こう」と言う。
これは、嫌味でもなんでもないのだ。
僕は本当に、対話がしたいのだ。
けれども、必ず、罵声を浴びせる人は、その理由もなにも教えてはくれず、そのまま去っていく。
僕は、そのことが、ひどく悲しい。
あぁ、日本社会は、こんなにも、病んでしまったのか、と思う。
いいかい?
会話をしなきゃ、はじまらないんだ。
闇があるから、おかしなことになるんだ。
おいでよ。
みんなで会話をしよう。
きっと、分かり合える。
分かり合えるさ。
対話、対話だ。
もっと、みんなで話そう。
そして、いろいろな謎を、意味の無いいがみ合いを。
消し去っていこう!