はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年4月14日

僕たちがゴダールだった頃

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 11:50 PM

とある人と話して、妙に気が合うな、と思ったら、映画ファン。

七芸に通っているなんてすごくいかしてる!

僕はそんな人に出会いたかったんだ、すごくうれしい!

ゴダール、タルコフスキー、アントニオーニ、ヴィスコンティ、フェリーニ……。

夢中になっていたんだ、僕も。

今だって、パソコンのそばに、アルファヴィルのビデオを置いている。

僕が、大学生だった頃、不意に映画が撮りたくなった。

放送祭ってのがあって、そこで自主制作映画を発表していた。

僕が脚本・主演・監督。

人手が足りなくて、自分で出演しなきゃらならないのが大変だった。

自分が映っている間、カメラの細かい指示が上手くできない。

最初に撮ったのは、ディム・ザ・ライツという作品で、ジャズに夢中だった頃だから、全編でクールジャズが流れる。

コニッツとエリントンとマーク・マーフィーへのオマージュのような作品だった。

舞台のほとんどは高槻の山奥のバス停だけど、守口の喫茶白岩、かしま時計店、堤防なんかが映ってる。

次に撮ったのが「あの連鎖」。

いろんな事件の連鎖が起こる。

誘発・連鎖に、原因があるのかどうかわからない。

そのわからなさがテーマだった。

相変わらず淀川が登場した。

大いに頑張ったものだなぁ、と思う。

また、映画を撮りたい!

知ってる人が多いと思うけど、僕は、高卒の状態で、小さな制作会社で働いて、その後で大学に通いなおした。

小さな制作会社で脚本家をやっていた頃、僕は本当に青二才だった。

ハートは熱かった。

触ると、やけどしそうで、それがゆえに上手くいかなかったような気もする。

僕はあの頃、言葉の美しさにしか興味がなかった。

今、僕は、ほんのちょっと歳をとって、言葉の意味合いに興味を持てるようになっている。

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