「政治をあきらめている」人に出会ってしまった。
※
偶然会った人が、「私は※※候補の支持者だ」と言った。
※※さんは、実は、僕が個人的にかなり親密感を感じている人。
できればとおってほしいと思っている、数少ない人なのだ。
でも僕は、その支持者の、支持をするという理由に愕然とさせられた。
※※さんは、僕にとって、すごく魅力的な人なので、あやかりたくて、「いやぁ、人間的に魅了されたんですね」と僕は言った。
すると、その支持者は、「え? ぜんぜん。魅力なんて感じたことないですよ」と答えたのだ。
僕のほうが、「え?」である。
思わず、「じゃ、なんで?」と聴きかえしちまった。
「いや、ただのしがらみですから。地域の関係というだけです」
と、その人は言う。
僕には、信じられない。
投票というのは、もっとナイーブなものではないのか。
政治を左右するのである。
「しがらみ」だの「知り合いに頼まれた」だので決めて良いのか?
※※さんは、先に書いたように、僕が個人的に好きな候補である。
だからこそ、その人の人間性・政策を見てほしかった。
しかし、その支持者は、そういうのを一切見ていなかったのである。
そのことに、驚くほど腹が立った。
「なんだそりゃ。そんないい加減な気持ちで投票してるのか、この人」と思った。
いい加減な気持ちで投票すんなよ!
政治って、もっと身体的だろ。
軽すぎだろ!
腹が立つ。
結構好きな候補の票だからなおさら腹が立つ。
政治をなめんな!
自分の頭で判断する気力すらないのか。
そんな彼には、ボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースド」を聞かせてやりたい。
「俺は、俺の考えどおりに動くんだ」という部分を聴かせてあげたい。
目を覚ませ。
自分で自分の道ぐらい、選べ!
※
最近、どうにも、政治をあきらめている人が多いような気がする。
僕は昔から、いい加減な気持ちでの投票というのが嫌いだ。
縁故やしがらみなんかで投票するぐらいなら、投票しないほうが世の中のためになると思っている。
政治ってのは、そういういい加減な気持ちでやっていいことではないからだ。
国民・市民の生命を左右することだってあるのである。
政治をあきらめるな!
しっかりと頭を使え!