知り合いの人の紹介で、散髪してもらってきました。
とっても丁寧な感じのお店でした。
店内で鳴っている音楽が結構よかった。
美容室って、たいてい打ち込みの音楽が鳴っていて、おしゃれなんだけどビートが疲れるぜ、って思うんだけど、わりとすっきりした感じの音楽が鳴っていて気持ち良かった。
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夜、友人と会って、トラディショナルなフォーク音楽とブルースとは近いのか遠いのかをあれこれ討論してた。
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先日書いた、京都に荒川修作の映画を見に行った思い出話。
建築家の荒川修作のドキュメンタリー映画の試写会に行ったんだよ。
大学の教授に誘ってもらってね(もうずいぶんと前だけど)。
京都のどこかの美術系の大学まで行ったんだけど、なかなか気持ちの良い風景だったんだね。
前に書いたけど、僕は高槻の山奥で青春期を過ごしたから、山に囲まれた風景を見ると胸が切なくなるんだ。
帰りに、小さな酒蔵を改造したレストランに連れて行ってもらって、赤ワインを飲みながら夕食を食べた。
なんだか、とても楽しい時間で、今でもよくその日のことを思い出すんだ。
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荒川修作は、ドキュメンタリー映画が完成する前に死んだ。
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昨日書いた、高橋源一郎の小説とも評論ともつかない「ニッポンの小説2 さよならニッポン」に、唐突に荒川修作が出てくる場面があるんだよね。
偶然どこかの飲み屋で高橋と荒川が出会って雑談するんだけど、そこでの荒川のしゃべり方が、ドキュメンタリー映画の中の荒川のしゃべり方とまったく一緒で、なんだか変な気分になる。
「そうそう、荒川ってそういうしゃべり方だよなぁ」って言いたくなる。
でも、ドキュメンタリー映画の中の人物って、僕には時々、とっても嘘くさく見える。
作られた人物のように見える。
それよりは、小説の中の人物のほうが、リアルに感じられることがある(変だけど)。
小説(評論)の中の文字で描かれた荒川修作と、ドキュメンタリー映画の中の撮られた荒川修作とが、同じように感じられるのは、なんだかとっても不思議な感覚だ。
そして、僕は、二つの荒川修作を知っているのに、本人を知らない。
なんだかとっても不思議。