はっとり浩之オフィシャルブログ

2011年2月27日

南に下る道路には避難民があふれ僕は10tトラックで

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 5:11 AM

知り合いの人の紹介で、散髪してもらってきました。

とっても丁寧な感じのお店でした。

店内で鳴っている音楽が結構よかった。

美容室って、たいてい打ち込みの音楽が鳴っていて、おしゃれなんだけどビートが疲れるぜ、って思うんだけど、わりとすっきりした感じの音楽が鳴っていて気持ち良かった。

夜、友人と会って、トラディショナルなフォーク音楽とブルースとは近いのか遠いのかをあれこれ討論してた。

先日書いた、京都に荒川修作の映画を見に行った思い出話。

建築家の荒川修作のドキュメンタリー映画の試写会に行ったんだよ。

大学の教授に誘ってもらってね(もうずいぶんと前だけど)。

京都のどこかの美術系の大学まで行ったんだけど、なかなか気持ちの良い風景だったんだね。

前に書いたけど、僕は高槻の山奥で青春期を過ごしたから、山に囲まれた風景を見ると胸が切なくなるんだ。

帰りに、小さな酒蔵を改造したレストランに連れて行ってもらって、赤ワインを飲みながら夕食を食べた。

なんだか、とても楽しい時間で、今でもよくその日のことを思い出すんだ。

荒川修作は、ドキュメンタリー映画が完成する前に死んだ。

昨日書いた、高橋源一郎の小説とも評論ともつかない「ニッポンの小説2 さよならニッポン」に、唐突に荒川修作が出てくる場面があるんだよね。

偶然どこかの飲み屋で高橋と荒川が出会って雑談するんだけど、そこでの荒川のしゃべり方が、ドキュメンタリー映画の中の荒川のしゃべり方とまったく一緒で、なんだか変な気分になる。

「そうそう、荒川ってそういうしゃべり方だよなぁ」って言いたくなる。

でも、ドキュメンタリー映画の中の人物って、僕には時々、とっても嘘くさく見える。

作られた人物のように見える。

それよりは、小説の中の人物のほうが、リアルに感じられることがある(変だけど)。

小説(評論)の中の文字で描かれた荒川修作と、ドキュメンタリー映画の中の撮られた荒川修作とが、同じように感じられるのは、なんだかとっても不思議な感覚だ。

そして、僕は、二つの荒川修作を知っているのに、本人を知らない。

なんだかとっても不思議。

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