政治家の言葉は軽くなった。
本当である。
軽くなったという言い方が違うならば、言い換えよう。
定型文になっている。
定型文というのは、誰でも使える。
コピー&ペーストの世界である。
大量生産の世界である。
アウラから程遠いのである。
僕はずっと、言葉ってのは、重たいものだと思っていた。
飛翔するかしないかの薄明に置き去りにされるものこそが、本当の言葉だと思っていた。
そしてそれを、人々は掬い取るのだ、と思っていた。
思っていたのだ。
でも、どうにも最近、世の中はそうではないのだ。
安っぽい定型文が跋扈する。
そしてそれが、定型文であることに、気がつかない人々が多くなった。
多くなったのだ。
本当である。
※
『夕暮れを見ると、涙がでる』
と書いたのは、セントルイス・ブルースである。
僕は少年のころ、セントルイス・ブルースのはじまりの一行を耳にするだけで、胸が張り裂けそうに切なくなったものだ。
『夕暮れを見ると、涙がでる』
文章にしてみると、なんてことは無い、平明な文章である。
でもその言葉は、少年の胸を切なくさせた。
言葉の浸透力は、言葉の難しさと関係が無い。
平明な言葉で語りたい。
そして、いろんな、定型文にのっとられた言葉たちを、救い出して、解放したい。
※
自由の意味が、今と違ったころが、確かにあった。
I Shall Be Released と、つぶやくだけで、なんとなくそのことがわかる。
今、自由は、もう、昔の自由ではなくなってしまった。
なんとなく、そのことは、わかるのだ。
でもそのことを、僕はまだ上手く、言語化できない。
僕は、みんなに教えたい。
確かに、自由の重みが、自由の求心力が、もっともっと、違っていた頃があったこと、その頃の、自由の意味を。
沈黙に隠された本質を、掴み取りたい。
そして、とてもイノセンスな、やわらかい、心臓のようなものを、君に、見せてあげたいのだ。