今日は、知人の方に誘っていただいて、日帰りの旅行に行ってきました。
途中、バスで、なかなか山深い場所を通ったのですけど、思わず心打たれました。
「あぁ、山あいってのは良いなぁ」と。
僕は子供のころ、山よりも海が好きだったのですが、大学生のころと、脚本家をやっていたころ、このどちらも、相当な田舎の山だらけの場所に通っていたため、気がついたら、山を見ると心がじわっとくるようになってしまったわけ。
今でも、いくつか、思い出すことがあります。
大学に入学したとき、バスで山道を30分以上通わねばならないことに、僕は相当辟易していました。
けれども、ある老教授が、こう言ったのです。
「君たちは、これからいくらでも都会で過ごすことができる。人生は長い。だからこそ、若い青春を、このような山奥ですごすことは、非常に大事な経験になるよ。すぐにはわからないかもしれないけど、将来、絶対にそう思う」
僕は今でも、この言葉を妙に良く覚えています。
確かに、僕は青春期を、駅から30分もバスで山道を登らねばならない山奥ですごしました。
冬の朝は一面霧で、晴れた日は食堂のテラスからは町が見渡せた。
最初のころ、そういう光景は憂鬱だったけど、何年も通ううちに、自然というもの(や、山間部独特のあの冷えた空気)に対して、深い親しみを覚えるようになったのです。
この親しみは、ただ単に、「自然っていいよね」というものではなく、体が勝手に反応するような、半ば本能的なものです。
それは、若い時代に山奥で暮らさなかったら、見に染み付かないものでしょう。
おかげで僕は、どうにも自分は、田舎の少年だという想いがいまでもなんとなくあります。
同じように、そういう、不便な学校に通っている子供を見ると、なんともいえない、暖かい気持ちになります。
そして、あれだけ不便だったのに、今は、不便な場所を見ると、妙に懐かしい気持ちになる。
毎日、山奥まで通うことで、忍耐強さもついたと思います。
でも、反面、僕は、都会のスピードが苦手になってしまったのも事実。
人と話すのも、あまり得意ではない。
正直、ゆっくりと自然を見ているほうが好きだ。
こういうのは、現代社会で戦っていこうとすると、不利な部分だとも思います。
※
脚本家をしていたころは、埼玉の田舎にいました。
小さな制作会社だったので、土地が安い場所に会社が立っていたのだ。
歩いて30分圏内にスーパーがひとつしかないような場所。
あの場所は、なぜか、今思い出しても寂しい。
あまりにも、仕事に追われていたからかもしれません。