はっとり浩之オフィシャルブログ

2010年12月26日

優雅で高級なひらぬーま野球

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:09 AM

立ち上がれ日本が、民主と連例津を組む予定だそうな(そういう報道がなされた時点で、ご破算の予想をしたいが)。

あ、なんだ、その程度の信念なんだ、と、予想以内というか、嘲笑。

僕は、この手の、「口先」右派を、一切信用していないというか、軽蔑している。

右派を名乗る資格のない、腰抜けであり、最低の臆病者の集まりである。

ポンツクの集団である。

世の中、勘違いしている馬鹿が多いが、「ある種の」右派というのは、ただの権力迎合、大衆迎合の手段であり、政治学的にも、軽蔑の対称に過ぎない(右派のすべてがそうであるといっているわけではない)。

現代において、ある種の保守は、「過激」ではない。

私は、「過激」が好きである(過激派のことじゃねーぜ)。

本来、右派というものは、リスクを恐れない過激を背負わねばならない。

それができない団体が右派と名乗ったところで、それは単なる、おもねった集団である。

人気取りのための強気姿勢である。

だから、いざ、窮地に追い込まれると、まったく思想のことなる民主党に対しても色気を出してしまう。

私は、そういういい加減差が嫌いなのである。

だから、迎合のための自称愛国厨は、最大の嫌悪の対象である。

彼らは、沈黙の本質を、系統額的に、理解し得ない。

深い意味で、国益を害する。

本音でぶつかってこい。

それができなくて、何が右派か。

ただの格好をつける手法に、国家を使うな。

「強い言葉を使えば人気が取れる」という考え方で言葉を荒げる限り、それはコスプレと同義である。

そういう意味で、私は、ある種の馬鹿保守を徹底的に批判する。

無論、馬鹿左翼も、批判する。

ところで、上の文章の意味、わかりますか?

私は、保守も右派も左派も批判していませんよ。

それは、ただの思想であり、理論的にきっちりと構築されたただの思想自体を、批判することはできない。

私が批判しているのは、それらのどの思想の世界にも、どうしようもない馬鹿がいる、その馬鹿を批判しているのである。

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

このコメント欄の RSS フィード

コメントフォームは現在閉鎖中です。

Powered by WordPress