12月なので、ラジオから、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス 戦争は終わった」が流れている。
この歌の、なんとも大人っぽい言い回しが僕は好きだ。
「君が望むなら、戦争は終わる」と何度も歌うこの歌、ある意味、一回転半した複雑な知性がある。
重要なのは、「君」の集合体が、「社会」であり、「世界」であるということだ。
当たり前の話だが、たった一人が「戦争をしたくない!」と叫んでも、それは単に駄々をこねているだけになる。
しかし、例えば101人の村で、100人が「戦争をしたくない!」と叫べば、それはもはや大衆の合意になる。
そんなわけだから、戦争だって(するにせよ、しないにせよ)、結局は意思決定によってなされているにすぎないのだ。
「はじまっちゃったから、仕方ないよね」では、だめなのだ。
「やらない!」あるいは、「やらせない!」と、みんなが意思表示することが、意味を持つのだ。
そういう、根本論、だが、意外にみんな忘れてしまうこと、を、ジョンのこの歌は、語っている。
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それにしても、ジョンの、この、なんとも攻撃的な、ロックンロールぶりは、どうだろう。
反戦という、一歩間違えれば、教育的でお行儀のよい主題を扱っているのに、そのサウンドは、気が遠くなるほどに、挑戦的で前衛的だ。
チャック・ベリーやボ・ディドリーのように、激しくロックンロールしている。
というのも、この、音をしっかりと聴くといい。
ぼわぼわとした、まるで空虚に太ってしまったかのような、サウンド。
これは決して、美しい、口先だけのお上品な歌とは違うのだ。
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ただ単に、攻撃的なことを言えばいい、破壊的なことを唱えればいい、それがロックンロールだ、と思い込んでいる輩は、幼稚である。
ジョン・レノンの歌は、たとえ真っ当なことを歌っても、最高にロックンロールになる、いやむしろ、そういう真っ当なことを、どこまでも前衛的に歌うことのほうが、よほど複雑で難しいのだ、ということを、僕たちに教えてくれる。