結局、ボブ・ディランのモノ・ボックスを買ってしまった。
どのアルバムも、これまでに、輸入盤だのレコードだの、何種類かずつ持っているのだが、こうやってボックスで手にすると、それぞれの作品について、思い出がよみがえってくる。
大学生の頃、ブロンド・オン・ブロンドは僕の心の支えの一つだった。
いま、改めて聞くと、演奏が荒いといわれている「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」が、実にしみじみと良い。
音質がいいじゃないか。
ディランの、あの、自由で孤独な雰囲気が、寂しげに羽根をはやしている。
※
初期のいくつかの、プロテスト的(?)な歌を聴くと、今更改めて、胸が熱くなった。
今はもう、「明日無き世界」を大手を振って共感する時代ではないが、答えがない「風に吹かれて」は、逆に、ぐっと胸に沁みこんでくる。
戦争するよりも、しないほうがいい、戦争しそうなときに、しないでおこうよと言えるほうがずっと偉い、ってのは、ぼくの変わらぬ思いだ。
戦争が起りそうな時、「やめとこうよ」と言うと、「この腰抜け」といわれることがある。
それは、とんだ勘違いである。
なぜなら、雰囲気に逆らって、反戦を口に出すことのほうが、よっぽど勇気がいるからに決まっているからだ。
雰囲気にのみこまれて(便乗して)、やっちまえ、やっちまえという人のほうが、よっぽど小心者の腰抜けである。
今の社会は、そんな単純なことすら、わからぬようになっている人々がいる。
そのことこそが、明日無き世界を作っちまう。