はっとり浩之オフィシャルブログ

2010年11月20日

言語野のサバルタン

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:26 AM

暴力装置って、フーコーあたりが元ネタか?と思ってたら、マックス・ウェーバーだったみたいだ。

サンケー新聞に書いてあった(喫茶店で読んだ)。

それにしても、その記事の論調の倒錯ぶりにちょっと笑ってしまった。

まず「暴力装置って表現はサヨク的用語だからけしからん」的な主張が読み取れる部分。

今の時代もう単純にウヨクサヨク分けられないのでは?と思う。

一人の人間が抱える思想は、各論ごとに相当複雑であり、「この用語を使用したから、こいつは右だ、左だ」という槍玉の挙げ方は、正直、相当にナンセンスだ。

『単語の選び方』で思想が分別できたら誰も苦労しない。

人間の思想って、そんなに単純じゃない。

さらに、それだけ「サヨク的言葉遣いはけしからん」と主張しておいて、その記事自身が、最終的には、「暴力装置という言い方は差別的だからやめましょう」的な部分に落ち着いているように見えることにも、大いに疑問を感じる。

それはちょっと、記事内にブレというか、ねじれがあるんじゃないだろうか。

「差別はやめましょう」は、どちらかといえば(彼らが攻撃しているはずの)『左』的な言語タームだ。

この新聞は、先ほど「暴力装置という言葉はサヨク的用語だから不適切」と主張しながら、その実、自分たち自身が、「(自衛隊)差別はやめましょう」という、(ある意味)きわめてサヨク的な言語の使用法をしているわけだ。

はっきりと書いておくけど、僕は、自衛隊の方々には敬意を払うべきだと考えている。

そのことについては、何も疑問を持たないし、大いに主張すればよいと思う。

さらには、別段、サヨク的言語を擁護するわけでもない。

ただ、この新聞記事の論調は、正直、やや稚拙だと思い、そのことが、気になって仕方がないのだ。

攻撃すべき論点を自分たちが実は使用しているというのは、倒錯以外の何ものでもない。

別にサンケーそのものを否定するわけじゃないけど、今回の記事については、そのような倒錯を抱えながら、大手を振って主張をするというのは、やや恥ずかしいやり方だと思う。

ものすごく気になった。

ニッケーの社説は、今回の流出事件について、ほとんど僕の感じていることと同じ主張だと思いました。

アサヒとヨミウリは、今回は特になにも感じる部分無し。

マイニチは読んでる暇なかった。

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