後援会で旅行に行ってきました!
初めての旅行にしては、滞りなく進行できたのではないかと思います。
それも、手伝ってくださった方々のおかげです。
参加してくださった方々、本当にありがとうございました。
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新聞を読むと、就活の時期が早すぎるってことで、見直しが検討されているとか。
ホンマそーやで。
早すぎる。
今の状態だと、やっと本腰を入れて研究、という時期に就職活動をしなければいけなくなる。
僕自身、大学院まで行っているkら、実感があるんだけど、「何を研究すべきか」というテーゼは、一筋縄には見えてこない。
たとえば、ポンティをやって、ベルクソンをやって、いいや、やっぱりバルトだ!と気がつく、なんて人もいるだろう。
そこに至るまで、5年ぐらいかかったとしても、何も不思議ではない。
それぐらい、研究というのは、ある程度成果を上げようとすると、時間がかかるものである。
勉学というのは、とりあえずいわれるままに、二年間ほど本を読めば良い、というものではないのだ。
そうではなくて、『自分自身で文献や方向性を模索する』ことが大事なのだ。
模索とは、『うろちょろすること』である。
『あれでもない、これでもない、あ、こっちか』と、手探りしていく。
そういう行為には、時間がかかるのは当たり前だ。
なのに、いまや、官民挙げてファーストフード化に熱心である。
就活はできるだけ、遅らせたほうが良い。
でないと、日本は、本当に、『思索することのできる人材』を失ってしまう。
教育は、国の根本ですよ。
きっちりと、勉強に集中できる状況を作っていくべきだ。
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どっかの校長が、夏休みのプールの掃除のときにビールを飲んで問題になったそうな。
もちろん、不謹慎な行為である。
しかし一方で、「そこまで騒ぐほどのことか?」とも思う。
どうにもこの人、掃除が終わって、昼食時に少し飲み、そのあともきっちりと掃除をしたようである。
僕の意見では、『ビールを飲んで、酔って不適切な行動をしたなら、、それは大問題』である。
もしも、少し飲んだだけで、きっちりと理性が保たれているならば、それは、それほどの問題であるとは思えない。
そもそも別に授業期間中ですらないのだから。
最近の社会の「規律」を見ていると、「未然に防ぐこと」や「とにかく規則を金科玉条的に守ること」に執着しすぎて、根本論を忘れているように見えることがある。
このあたりについては、社会学者の宮台真司氏が、「漂流するメディア」で非常に適切に論じているので、一度読んでみるといいと思う。
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辰巳ヨシヒロの「劇画漂流」を読む。
面白い。
面白すぎて、一瞬で読みきった。
僕は、漫画好きで、劇画雑誌「影」「街」のことがずっと気になっていたので、ジャストミートな内容だった。
劇画、いいよね。
今と同じで、当時もおかしな政治家が、「けしからん」といって規制しようとしていたようだね。
表現は規制しちゃいかんよ。
表現を規制された社会に育つ子供のほうが、よほどおかしな子供になるに決まっている。
先日も、東京都でおかしな条例があったが、どうにも、常軌を逸脱している。
このあたりも、常識で考えればわかることを考えられていないというか、どうにも、失敗した過敏反応が蔓延しているように思える。
それは単に社会を息苦しくして、ヒートエンド状態に向かわせるだけだ。
現代社会の最大の病理の一つは、一部の人々が、世の中を良くするつもりで、どんどん息苦しくしている点だ。