はっとり浩之オフィシャルブログ

2010年9月9日

愛は世紀

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 3:53 AM

今更ながらゴダール監督『愛の世紀』を見る。
途中まで「あぁ、いつものゴダールか」と退屈していたんだけど、気がついたら、引き込まれていた。
なんというか、場面の断片なのだけど、どの場面も『なにか起こりそうな一瞬からの切り抜き・引用』の感が漂っていて、見る手に『こんなスリリングな人生を歩みたかった』という郷愁を想起させる(物語中にスリリングはないけど)。
それとは別に、現在がモノクロームで描かれ、過去が鮮烈なカラーで描かれることで、まるで、『時が停滞しているように感じられる』。
無限ループの世界が暗示されているかのよう。
過去は脈動しているのに、現在は死んでいる。
と、見ながら感じていたら、中条省平がまったく同じ趣旨の論考を解説書に寄稿していた。
まぁ、それはどうでもいいんだけど、同じ解説書に寄稿された蓮見重彦の論考に慟哭させられる。
別に、すごい何かが見える論考じゃないけど、妥当でもないけど、「え? え? この映画見て、こんなこと言えるの?」って感じ。
中条のは、俺でも書ける。
でも、蓮見のは、真似できない。
やっぱ蓮見すげーわ。
でも。
この凄さ、いったいどれほどの人がわかるだろう、と、不安にもなる。
ともすれば、的外れを書いてる人として、今の若い人には、受容されないか。
正直、読み手からして「自分でも思いつく意見」など、どうでもいい。
「自分では、絶対に思いつかない視点」こそ、凄みの所以なんだけどね。

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