はっとり浩之オフィシャルブログ

2010年8月1日

守口フォーク・ジャンボリー(きしめんじゃなくてゆでめん)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 3:19 AM

あぁ、カントリーミュージックが聴きたい。

フォークでもいい。

ゆったりとそういうのを聴いて、椅子に座っていい気分でビールが飲みたい。

最近、そういうイベントってあんまりないよね。

『フォークとロカビリーの楽しい夕べ』、みたいな。

最新のモードなんてどうでも良いよ。

物事は何でも、一周遅れぐらいがちょうどいい(冷静な判断が出来るようになるから)。

日本人にR&Bなんて土台無理だ。

戦後60年間培ってきたロカビリーとフォークにもどりゃいい。

今日、久しぶりに、IPODではっぴぃえんどを聴いていて、そのサウンドが、やっぱりヴァッファロースプリングスティーンに酷似していてびっくり。

ここまで、欧米風のサウンドを、同時代的に再現できたバンドが、日本で他にあるのか。

否、である。

はっぴぃえんどを聴くと、日本のロックってのは、この時期が一番イケてるんじゃないのか、と思う。

一般的に、60年代~70年代の音楽ってのは、革新的で、非日本趣味だと捉えられがちだが、僕はそう思わない。

むしろ、彼らは、歌詞の中に英語を使わない。

日本語という言語が、ロックのメロディーの中に、どういうふうに当てはまるのかを模索しているし、ジャケtットデザインにしても、内容のモチーフにしても、きわめて日本的である(最初のアルバムの、「ゆでめん」を見ろ)。

日本という、湿度の高い土地で、どのように、欧米文化と拮抗しうるかを、極限で試しているといっていい。

僕はだから、フォークロックのアーティストこそ、もっともディスカヴァージャパンした人々だと思っている。

そこには、偏狭で薄っぺらい、自己充足的な『自己鼓舞』などない。

何をどうすれば、文化的に優れたものが実践できるかという、アーティスティックな攻勢がある。

それは純粋で、誉められるべきものだ。

土地の名前に意味がなくなってしまったことが、気になる。

どうして、新しいこの、開発は、こういうことをしてしまうのか。

例えば細詰町ならば、細い詰まった路地がなければならないのだ。

しかし、今の再開発は、すべてを平らにし、土地の名前から、それに呼応する地域的特長を奪ってしまう。

なんて悲しいことだ。

どの町を歩いても、同じような町ばかりじゃないか。

こんなことでは、『地方の復帰』はほど遠い。

どのj町も同じような町になってしまってどうするんだ。

同じものの連続体で、何が地方に活力を、だ。

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