あぁ、カントリーミュージックが聴きたい。
フォークでもいい。
ゆったりとそういうのを聴いて、椅子に座っていい気分でビールが飲みたい。
最近、そういうイベントってあんまりないよね。
『フォークとロカビリーの楽しい夕べ』、みたいな。
最新のモードなんてどうでも良いよ。
物事は何でも、一周遅れぐらいがちょうどいい(冷静な判断が出来るようになるから)。
日本人にR&Bなんて土台無理だ。
戦後60年間培ってきたロカビリーとフォークにもどりゃいい。
○
今日、久しぶりに、IPODではっぴぃえんどを聴いていて、そのサウンドが、やっぱりヴァッファロースプリングスティーンに酷似していてびっくり。
ここまで、欧米風のサウンドを、同時代的に再現できたバンドが、日本で他にあるのか。
否、である。
はっぴぃえんどを聴くと、日本のロックってのは、この時期が一番イケてるんじゃないのか、と思う。
一般的に、60年代~70年代の音楽ってのは、革新的で、非日本趣味だと捉えられがちだが、僕はそう思わない。
むしろ、彼らは、歌詞の中に英語を使わない。
日本語という言語が、ロックのメロディーの中に、どういうふうに当てはまるのかを模索しているし、ジャケtットデザインにしても、内容のモチーフにしても、きわめて日本的である(最初のアルバムの、「ゆでめん」を見ろ)。
日本という、湿度の高い土地で、どのように、欧米文化と拮抗しうるかを、極限で試しているといっていい。
僕はだから、フォークロックのアーティストこそ、もっともディスカヴァージャパンした人々だと思っている。
そこには、偏狭で薄っぺらい、自己充足的な『自己鼓舞』などない。
何をどうすれば、文化的に優れたものが実践できるかという、アーティスティックな攻勢がある。
それは純粋で、誉められるべきものだ。
○
土地の名前に意味がなくなってしまったことが、気になる。
どうして、新しいこの、開発は、こういうことをしてしまうのか。
例えば細詰町ならば、細い詰まった路地がなければならないのだ。
しかし、今の再開発は、すべてを平らにし、土地の名前から、それに呼応する地域的特長を奪ってしまう。
なんて悲しいことだ。
どの町を歩いても、同じような町ばかりじゃないか。
こんなことでは、『地方の復帰』はほど遠い。
どのj町も同じような町になってしまってどうするんだ。
同じものの連続体で、何が地方に活力を、だ。