なんだかわからないけれど、町をふらつきながら、頭の中のもやもやが晴れない。
都会のネオンサイン、その薄情な光線は僕の眼前でちかちかと光を放ち、僕たちから遠くにあり、近くにある。
自然光から僕たちは遠くはなれ、文明に飼いならされ、それを批判することすらもう、『流行から遅れている』。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。
なぜだかわからないけれど、頭の中で、二ール・ヤングの『ハーヴェスト』が流れる。
なぜだかわからないけれど、頭の中で、谷川俊太郎の『トリムソコラージュ』の一節が流れる。
そして僕はふと、数年前の、学校の後輩との会話を思い出す。
なぜだろう。
なぜだか、わからない。
本当にわからないんだ、記憶は、ときどきこのような、何の関係もない部分から、鎖で繋がって、連鎖を引き起こし、雪崩を打つ。
そして僕は、よくわからないもやもやと格闘する。
僕が、数年前にちょっとだけ話した学校の後輩は、なんだかよくわからないけれど、ミリタリーマニアだった。
彼は酒を飲んで、武器の名前をたくさん語って、「俺は政治がよくわかる。戦争について知っている」と言った。
僕はそれに、反論した。
僕:いやいや、君の言っていることは、おかしい。君は戦争を見たのか。否、見ていないのである。
後輩:それがどうしたというのだ、見た、。見ていないなど、関係がない、僕はたくさんの名前を知っている。たくさんの将軍の名前、作戦の名前、武器の名前を。
僕:それがそもそも、傲慢だ。戦争は本当は無名だ。戦地で武器の美しさ、武器の名前なんて、関係があるのか。そんなことに酔いしれていられるのか。兵隊は、無名の弾丸に撃ちぬかれ、無名で死を迎える。ラジオが伝えるだろう、今日の死者は××名。そこに名前はない。田中さん、吉田さん、なんていわないよ。将軍の名前や作戦の名前なんて、現実から『遠い』。現実は、もっと、細部になった、記述されていない部分にある。
後輩:それがどうした(笑)。正義感ぶりやがって。お前、後半のはゴダールか何かからの引用だろう。馬鹿が。じゃ、お前、俺以上の知識があるのか。お前、××ってどこの国の戦艦の名前か、知ってるか。
僕はカタツムリのように口を閉じ、言葉は死んだ。戦死。こんなところにも、単純な、まこと情けない戦死がある。その程度を、戦死と抜かすな、失礼だ、軽々しくその言葉を使うなと、僕のもう一つの脳がささやき、僕は一方で、その言葉を、格好良く駆使したい。
そして、その日と同じように、今日の夜は、無名のままで、特急のような素晴らしい風圧で僕を吹き飛ばし、僕はしかし、吹き飛ばされない。
風圧が、ふいに止み、やはり、無名の人々の群れ。
そこにいて、ネオンサインは相変わらずきらめき、僕は、なぜ数年前の、なんでもない会話を思い出したのか、そんなこと、考える必要はないと思った。