はっとり浩之オフィシャルブログ

2013年6月17日

山へのあこがれ、海への憧れ

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:44 AM

昨日(16日・日曜日)は、祖父のお墓参りに京都(五条あたり)に行ってきた。
本当は19日が命日だが、仕事なので(平日だから当たり前か)、この日曜に行ってきた。

そのあとは、お決まりの三条あたりでぶらぶら。
ラジオ・カフェで昼飯食おうかと思ったり、最近やたらと進出してる金沢ゴーゴー・カレーで昼食食おうかと迷ったり、いや、やっぱ関西で数少ないシェーキーズだろ、とか、ちょっと豪華にかつくらか、とか、あえて珍遊で味噌ラーメンかとか、ここはやっぱりカマルのカレーだろとか、豚ゴリラでとんかつでもいいlなぁとか、悩みに悩んだ(幸せな悩みだ)。
で、昼食の後は、お決まりの大垣書店、ジュージヤ、オーパの上のタワレコ、コミック談、アール・ニューボールドあたりを冷やかす。
んで、これまた、お決まりの商店街のタリーズでコーヒー(スタバやカフェ・エクシオールよりも客が少なくてゆっくりできる、と俺は思う)。

まぁ、しかし、京都の良さは、「風通し(本当の風)の良さ、建物が低い、水の巧い利用、植物の巧い利用」だな。

俺は子供のころ、今や消えてしまった父親の社員寮が和歌山にあったせいで、よく遊びに行っていて、海が大好きだった。
海というか、磯だな。
あるいは、八〇年代的なリゾート地のはかない夢、幻(今、その残滓はどこにあるのだろうか。残っているなら、残り香を嗅いでみたい)。
で、真田山という、山というよりも親指の第一関節ほどの小さな丘とすそ野に広がる平野で過ごす、平和で無意味でいとおしい中学・高校時代を経て、一九歳以降の青春時代は、高槻の山奥という辺鄙な場所で過ごした(途中で埼玉の蓮田があったが、まぁ、ここではどうでもいい)。
高槻の山奥の経験が、肌にしみこんだのだ。
気が付くと、海は僕にとって遠いものになっていた。
二〇代以降の僕の内面では、明らかに、海への憧憬とリアリティまでもが後退し、そこには明らかに、山と草木と風、そして水への激しい渇望・どうしようもない憧憬が、刻み込まれている。
あまりにもつまらない、あの人を空しくさせる(ある種の褒め言葉)安藤建築の山崎山荘の美術館・摂津峡の光景・いつも濡れたような高槻の商店街・アルプラザ・市営バスでないととても通えない山の頂上の総合情報学部と・学校の中の風車と・発電所・そして山崎のウィスキー工場。
これらが混然と混じった記憶が、古びて、僕に、風と山と水への憧憬を呼び掛ける。
そして、そういった憧憬は、京都へと緩やかに通じている。

でも、ときどき、思い出す。
海への遠い憧れを。
学生のころ、ときどき、妙に海が見たくなることがあった。
忘れかけた憧憬が、胸の内でざわめくことがあった。
そんな時、僕は、しばしば、高槻からの西明石行の新快速に飛び乗った。
神戸で降りて、なんとなく港を見つめていた。
夜更けまで。
MDプレイヤーには、南佳孝の「South Of The Border」がいつも入っていた。
港を見つめながら、一〇時過ぎまで、それを聴いていた。

僕は、いつも混乱していたのだ。
僕の、いちばん近いところには、海も山もない。
でも、僕の、子供のころの思い出と、青春の記憶が、僕に海への憧憬・山への憧憬を、呼びかけ続ける。
僕は引き裂かれ、戸惑い、苦しくなる。
僕の心の不毛の土地。
僕の心の荒野。
僕の、心のノーウェア・ランド。
僕の行先は、いまだ見えない。
僕はいつか、こんな憧れを、胸の疼きを、まるでよくできた大人のように、解脱することができるのだろうか?
何かから、『遠く離れて』と、したり顔の評論家の、お決まりの文句のように、引用して語ることができるのだろうか?
語る?
いったい何を?海と山以外に、いったい何があるというのだ。

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