はっとり浩之オフィシャルブログ

2013年5月31日

耐震工事の時期

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 1:44 AM

「耐震工事の時期によっては、学校の校庭が使えなくたって、盆踊りなどのイベントに使用できなくなるのか?」と市民の方から問い合わせがありまして、教育委員会さんに問い合わせてみました。
だいたいのこれから始まる分の耐震工事は7月22日から来年1月半ばぐらいまでの期間を想定しているようです。
6月議会に審議内容として挙がってきますので、審議が終わり次第、業者さんと具体的な話に入っていくようです。
学校ごとに、工事のための足場確保などの条件が変わってくるため、グラウンドがイベントで使用しづらくなるかどうかは、業者さんが実際に入ってきてからでないとはっきりとは分からないようです。

話は変わりますが、前の日記で出てきた友部正人の「長崎慕情」の歌詞の「もつれた足を夜汽車にまたがせて」の「またがせて」という表現がすごいです。
普通は「もつれた足を夜汽車に横たえて」とか、「もつれた足を夜汽車に投げ出して」とか、そんな表現になるはずなんですよね。
物理的に、足を夜汽車に「またがせる」ことはできないと思うんです。
でも、友部さんは「またがせて」という表現を使う。
この、言葉の選び方が、だれにもまねできないんですよ。
常識で使用する言葉遣いを超えた言葉遣いがずんずん入ってくるところがすごいんです。
「長崎慕情」に限らず、友部正人の歌って、こういう、よくよく考えたらおかしい言葉遣いが結構出てくるんですよね。
だから、かなり聞き込んだ歌でも、急に歌うことが僕にはできません。
「一本道」の「お銚子の隙間から眺めていると」という表現もお銚子に穴がいていない限り、お銚子の隙間から月を眺めることはできませんし、「誰も僕の絵を描けないだろう」の「大女のスカートが男を丸呑みにするのを見たんだ」も比喩なのかなんなのかよくわからない。
こういう、超常現象じみた記述が、彼を詩人たらしめているのでしょうね。
小説を書くときに、詩的な表現というものは、時には足かせになりますが、詩はやはり詩的な表現によって成り立つ部分があると思います(事実の記述を振り分けるだけで成り立つ素晴らしい詩ももちろんありますが)。

用事をいろいろ終わらせてから、夜に、映画版のシュタインズゲートを見に行きました。
周囲に薦めてくる人がすごく多かったのですが、ゲーム版をやってないしテレビ版も見ていないので、映画だけ見てもなぁ、と思っていたのですが、普通に楽しめました。
なんというか、YU-NOとDESIREを足したような感じというか、剣乃シナリオ直撃世代の僕らには懐かしいテイストのSF作品だなぁ、と。
たしかに、同級生たちが薦めてくるのもうなづける。
と、同時に、こういう作品でもヒットするんだなぁというのが面白かった。
今って結構、日常系か王道系がヒットすると思うんだよね。
それに比べると、シュタゲーって、一昔前のサブカル系ってかんじがちょっと強いよね(一人一人のしゃべり方に特徴付けをしてるっていうキャラクター造形のやり方は、わざとかもしれないけど、10年前っていう感じだ)。
でもまぁ、ラボに集まってわいわいやるあたりは、最近ヒットが多い部活系作品を踏襲してると言えなくもないか。
原作を制作したゲーム会社のスタッフさんたちとは、僕は昔、仕事関係でちょっと会ったりしたことがあって(シナリオを書いたりしたわけじゃないけど、関東のいろんな製作関係の会社の集まりみたいなので会う機会があった)、当時の名物広報だったアフロのおっちゃんともしゃべったことがあるけど、今でも健在なんだろうか。
それにしても、小さなゲーム会社(まぁゲーム会社に大きいも小さいもないけどね。良い作品さえ作れたらいいんだから)の作ったゲームが映画化まで行っちゃったんだから、うらやましいというか、すごいよ、ほんと。

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