あまり機械が好きではない。
TVは子供の頃から、一年に合計数時間も見ない性質だし、ラジオは自分から聞いたことがない。
食べ物を温めるのにレンジを使いたくないし、服を乾かすのに乾燥機を使いたくない。
日中から電灯をつけたくないし、ドライヤーで髪を乾かしたことなんて、およそ10年ほど一度もない(散髪屋では別だ)。
別に、ロハスだとか、エコだとかいうのではない。
ただ単に、機械があまり好きではないのだ。
ロボットもパトカーも消防車も、かっこいいと思わない。
ほとんど唯一、身近で愛用している機械といえば、音楽を聴く機械ぐらいだ。
これにだけは世話になっている。
真空管アンプに手を出したり、レコードプレイヤーに手を出したりした時期もあったが、さすがに面倒すぎて、無難なYAMAHAのアンプと、KENWOODのCDプレイヤーに落ち着いた。
何事も、面倒なことは嫌いなのだ。
スピーカーだけはこだわっていて、イタリアのソナス・ファーベルのTOYというスピーカーを使用している。
これは、旅行に行ったときに、デモ機を半額以下で買ってきたのだ。
本当は、アンプに力を入れるべきなんだろうけど、まぁ、とりあえずこれで良いじゃん、落ち着いてるよ、って思う。
役に立っているかどうかわからないのは、パソコンと携帯電話とIPODとDVDプレイヤーだ。
どちらにも、世話になっているといえば世話になっているんだけど、どうにも、好きじゃないな、なけりゃないほうが良いかもな、と思う。
DVDプレイヤーは、すごく便利だ。
何かのメディア論の論文で読んだけど、家庭で映画を見るようになって、映画受容の質は、かつての映画館でのものと、別の経験になった。
僕は、DVDで見るのが面倒でたまらなくて、結局、DVDプレイヤーを買ってから、映画をほとんど見なくなった。
学生時代、DVDプレイヤーを持っていなかった頃は、気が狂ったように映画館に行っていた。
映画を見るために授業を良く休んだ。
DVDプレイヤーを手に入れたあとは、なんだか、映画そのものを見る気がしなくなって、映画館にもほとんど行かなくなった。
おかげで、大学院の授業は、ほとんど休まなかった。(笑)
IPOD。
これも、なくてもいいや、って思う。
あったら使うけど、IPODを持ち歩いて、電車の中で音楽を聴いて、家に帰ってきてふと、「で、さっき俺は、素晴らしい音楽受容をしていたのか?」と自問すると、常に「NO」と感じる。
イヤホンで聴くから、音質が悪いのか、圧縮しているから、音質が悪いのか、ちっとも楽しくない。
カバンに入っていると、ついつい聴いちゃうけど、それって、煙草があれば吸っちゃうってのと、同じレベルだ。
別に、ないほうが良いよ、って思う。
やっぱり音楽は、イヤホンなんかじゃなく、スピーカーで、ちゃんと空気の長い伝導を通して、聴くのが一番だ。
パソコン。
本当に便利だよな、って思う。
ずいぶんとパソコンには、いろいろと楽しませてもらってきた。
自主制作映画を撮って、パソコンで編集したし、シナリオだってパソコンで書いたし。
MIXIで、友達たちと繋がっている感覚になるし、こうやってブログだって書けるし。
インタ0ネットを通じて、情報だって、検索しやすくなったし。
でも、どこかしら心のどこかに、「パソコンが簡単に家庭で使えるようになる前のほうが、世の中、良かったんじゃないの?」って思う気持ちが複雑に混在している。
なんといっても、ドッグイヤーだのなんだのいうぐらいに、世の中のスピードが上がりすぎている。
情報の摂取の道筋も、すっかり変わってしまった。
僕なんて、いまだに「足で歩くのが捜査だ」って信じているタイプなので、目で見たもの、手で触ったものしか信じない部分ってあるんだけど、インターネットの登場以来、そういう情報摂取の仕方が、どうにも市民権を失ってしまった。
実感のない情報が、跋扈するようになってしまった。
携帯。
これも、いらねーんじゃねーか、と良く思う。
たまに、うっとおしくなって、携帯をおいて家を出ると、すごく気持ちがいい。
きっと、監視されているような気持ちが、和らぐからだろう。
僕は、「携帯を持っておくべきだ。連絡が取れなくなる」なんてしたり顔で豪語する連中がだいっ嫌いだ。
「馬鹿やろう。10年前は携帯なんてなくったって仕事が出来ていたし、世の中がちゃんと廻っていただろうが」と思う。
今日連絡のあったことを、今日返事しなけりゃならない謂れなんて、本当はどこにも必然性がなくて、物事の返事なんて、1日ぐらい遅いぐらいのほうが本当は何でも良い。
今の時代は、スピードが速すぎて、人間はついていけない、デッドヒート状態なんだから、もっとゆるめた方が、遅くしたほうが良いに決まっている。
トマス・ピンチョンってアメリカの作家の小説に、なんだか、どんどん世界がヒートエンドになっていくような内容の小説があった記憶があるんだけど、50年ほど昔に書かれたその小説の語っていた状態が、むしろ今はさらに実感を帯びている。
以前好きで、最近はもうほとんど興味がうせちゃったんだけど、村上春樹を、よく読んだ時期があって、彼はエッセイで、「メールの返事なんて、絶対にすぐにしない」と書いていた。
僕は、保坂和志の小説も好きだったけど、なぜなら、時間が先に押し流されるんじゃなくて、ある時間を、『膨らませていく感じ』がしたからだ。
僕の、大学の後輩に、『携帯電話やメールは、むしろ仕事に損害を与えるんじゃないのか』という命題で研究をしている人がいた。
つまりは、携帯でひっきりなしに連絡が入ることで、仕事がむしろ進まなくなったり、精神的に、休日も休日の気分じゃなくなって、やる気が出なくなったり、メールの処理が多すぎて、時間をそれにさかれすぎたりして、結局、それらの便利ツールは、世の中を不便にしているんじゃないのか、ということを追求した研究だった。
まったくそうじゃねーか、と思うよ。
連絡先なんて、自宅の電話がありゃ十分で、昔はそれでみんな、ちゃんとやっていて、何も問題なんてなくて、むしろ携帯が登場してから、待ち合わせでもなんでもみんな、傲慢になった。
僕は、傲慢なのが大嫌いだ。
それは、思考の放棄だ。
傲慢なんてかましている連中は、ただ単に楽をしているだけに過ぎない。
いっそ携帯を、解約してしまっても良いかな、そういうことをするのが、「悪くない」と、どうどうと言えるような人間になるべきだよな、と、最近思う。
PS
車も自転車も嫌いである。
車や自転車に乗るぐらいなら、自分の足で歩く。
千林駅から守口駅ぐらいなら歩く。
三宮駅から神戸駅ぐらいなら歩く。
京都駅から烏丸御池駅ぐらいなら歩く。
高校時代は毎日、学校から玉造駅を越えて大阪城公園駅まで歩いていた。