はっとり浩之オフィシャルブログ

2013年2月27日

狼たちが呼んでいる うぉーうぉーうぉー

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 1:22 AM

友部正人がランブリン・ジャック・エリオットについて歌った歌があって、たぶん音源化されていなくて、僕はライブで一度聴いただけなんだけど、なぜかずっとメロディが頭に残っている。

ランブリン・ジャック
ランブリン・ジャック
ランブリン・ジャック
狼たちが呼んでいる
うぉー
うぉー
うぉー

ってサビなんだ。
なんで狼なんだろう?(笑)
やっぱりジャックが放浪するアメリカの荒野には、狼がたくさんいるのだろうか?

友部正人は、日本のボブ・ディランみたいに言われることがよくあって、3枚目と4枚目のアルバムの抽象的でマシンガン的な言葉遣いは、確かにボブ・ディラン的な芸術性を感じなくはないけれど、本質的にはディランよりも、ランブリング・ジャック・エリオットに近いのかな?と最近よく考える。
本人的には、きっと「ディランみたいだね」といわれるよりも、「ランブリン・ジャックみたい」といわれるほうが嬉しいんじゃないだろうか。

ランブリン・ジャックは、ウディ・ガスリーの最後の弟子とか言われる人で、名前の通り、放浪のフォークシンガーとして名を売った人だけど、実際には金持ちの医者の息子だとか言われている。
まぁ、実際に家を出て放浪してるなら、出自が金持ちでも別にいいじゃん、と俺は思う。

ちなみにディランも少年時代、ウディ・ガスリーの家に出入りしていて、息子のアーロとも出会っていて、その辺のことは、ディランの自伝の記述がとても味わいがあるんだ。

友部正人は、1973年ごろに、ランブリン・ジャック・エリオットが来日した時に前座をやって、そのままジャックを追いかける形でアメリカに行くんだよね。
で、一年ほど放浪して、日本に帰ってくる。
日本に帰ってきて発表したアルバム「誰も僕の絵を描けないだろう」には、アメリカを放浪した時の、なんとも言えないむなしさみたいなものがにじみ出ている。
それからあとの作品にも、度々、この若いころのアメリカ放浪のモチーフが現れる。
何か、ほろ苦い、忘れ難い経験だったみたいだ。

どうでもいい豆知識だけど、坂本龍一が初めて公式のレコードに名前を表すのが、実はこの友部の「誰も僕の絵を描けないだろう」のピアノ伴奏者としてだ。
「誰も僕の絵を描けないだろう」は、友部の歌とギター、そして坂本龍一のピアノだけで作られている。
アルバム裏側のジャケットに、友部と二人で写っているひげ面の若い男が、坂本龍一である。

友部は、ランブリン・ジャックに憧憬を感じていたみたいで、タイトルは忘れちゃったけど、

あのとき
ジャックと
いつまでも一緒にいたかった

と歌うセンシティヴな歌も作っている。
友部にとって、ジャックは、アメリカであり、遠い異国であり、ここではないどこかであり、息苦しい日本から逃げ出すということそのものだったのかもしれない。
友部にとって、ジャックは、ジャックでありながら、ジャック以上の何か、脱出願望のようなものの、象徴そのものだったのじゃないだろうか。
それゆえに、どうやらあまり楽しいものではなかったようなアメリカ放浪が、ことさらに苦く心に残ったのだろう。
ここから逃げ出しても、あまり素敵じゃなかったのだ、きっと。

友部の、ランブリン・ジャックとの思い出はさらにほろ苦いエピソードで幕を閉じている。
友部の自伝「ニューヨークの半熟卵」に、年を取ってから、ニューヨークで30年ぶりにジャックと再会する記述がある。
ジャックは友部のことを覚えていなかった、というか、岡林信康と勘違いをする。
友部は、「俺は岡林じゃないよ」と言う。
ジャックは、そこでやっと思い出し、「あぁ、あの、ハーモニカフォルダーの少年か。大人になったなぁ」というようなことを言う。
ハーモニカフォルダーの少年、という表現が、僕はひどく好きだ。
フォークというものと一緒に生きていた、青年友部の姿が目に浮かぶようだ。

人に、覚えてもらえないことは、誰だってよくある。
そんなことは怒ったってしょうがない。
でも、岡林と勘違いされた友部は、この時どんな気持ちだったんだろう?
しょんぼりしたのだろうか?
俺なら、やっぱりしょんぼりしたと思う。
伝記には、その時の気持ちは書かれていないけど、僕は、時々、いいや、しばしば頻繁に、この場面を思い出す。

僕が、ライブで、友部が歌うランブリン・ジャックの歌を聞いたのは、友部がニューヨークでジャックに再開してから、さらに10年ぐらいが経った後だ。
いまでも、友部はジャックの歌をうたっている。
レコーディングしていない歌だから、タイトルすらわからない。
タイトルなんてないのかもしれない。
それは、名前なんてなくても、しっかりと心に刻まれているのだ。
僕は時々、思い出したようにその歌のフレーズを呟いてるのだ。

ランブリン・ジャックと彼の仲間の狼。
何度歌っても、どうして狼なのか、やっぱりちっともわからないけれど。
でもそんなことは、どうでもいいのだ。

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